リュミエール映画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/27 21:08 UTC 版)
1895年から1905年にかけてリュミエール社がシネマトグラフで撮影し、同社のカタログに掲載された作品(リュミエール映画)は1423本存在する(1422本とする資料もある)。そのうち1405本の作品は、2005年にユネスコの世界の記憶に登録された。映画史研究者の古賀太によると、これ以外にもカタログに掲載されなかった作品、すなわち販売用ではない作品が少なくとも500本は存在するという。これらのリュミエール映画の中で、リュミエール兄弟が自ら撮影したのは全体の1割にも満たず、それ以外のほとんどはリュミエール社技師が撮影したものであるが、撮影者が特定できる作品は700本しかないと考えられている。 リュミエール映画の大部分を占めるのは、世界各地の日常風景、王室の公式行事、軍隊、祭りなどを撮影した実写映画 である。リュミエール社技師が訪れた場所で撮影した作品は、わざと街頭でカメラを構えて広く宣伝することで、それを見た人たちは自分がカメラに映っているかもしれないと思って上映会場に足を運んだため、その地で最も呼び物となる作品となった。リュミエール社の実写映画は、1896年から1897年にかけて最も成功した映画であり、世界中の競合会社はそれを模倣した作品を作った。サドゥールによると、ルイの作品『工場の出口』『列車の到着』などはそれぞれ10本ずつ模倣作品が作られたという。また、『水をかけられた散水夫』のような劇的筋立てを持つ作品もいくつか存在し、1897年には『マラーの死』『シャルル一世の暗殺』のような歴史映画や、『イエス・キリストの生涯と受難』『ファウスト』などが作られた。 リュミエール映画はいくつかの新たな技術的試みを行った。1896年1月にグラン・カフェで『壁の取り壊し』を上映した時には、通常に上映したあとにフィルムを逆回転して映写し、壊れた壁が元に戻るという映像を見せた。この試みは映画史初期に流行したトリック映画の最初期のものである。世界最初の移動撮影を実現したのもリュミエール映画である。当時は固定カメラによる撮影が基本だったが、1896年9月にドイツを訪れたコンスタン・ジレルは、ライン川を渡る船からその眺めをシネマトグラフに収め、初めて動く乗り物からの移動撮影を試みた。同時期にイタリアを訪れたアレクサンドル・プロミオも、ヴェネツィアの運河で動くゴンドラから沿岸の建物を撮影した『船から撮影された大運河のパノラマ』を発表した。プロミオは「動かぬ映画が動くものを再現してくれるとするなら、この命題をひっくり返して、動く映画によって動かぬものを再現することができるのではないか」という発想から、移動撮影を試みたという。その後リュミエール映画では、列車や船などの動く乗り物から移動撮影した作品が数十本作られ、それらの作品は「パノラマ」という名称でジャンル化された。
※この「リュミエール映画」の解説は、「シネマトグラフ」の解説の一部です。
「リュミエール映画」を含む「シネマトグラフ」の記事については、「シネマトグラフ」の概要を参照ください。
- リュミエール映画のページへのリンク