リオデジャネイロオリンピックまで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 01:32 UTC 版)
「福原愛」の記事における「リオデジャネイロオリンピックまで」の解説
ロンドンオリンピック終了後、8月24日に前年夏に故障した右肘滑膜ひだ障害の手術に踏み切った。また、故障を抱えながら出場した2012年3月の世界選手権( ドイツ・ドルトムント)やオリンピックなど、歴戦の疲労も蓄積していたので、手術箇所の治療や疲労回復などを目的に9月から10月は休養を続けた。11月から練習を再開し、12月6日に杭州で開催されたITTFワールドツアー・グランドファイナルで復帰したが初戦の2回戦で陳夢(中国)に敗れた。 2013年には平成24年度天皇杯・皇后杯全日本卓球選手権大会に出場、今大会はヒジ手術からの休養明けを考慮して女子シングルスのみの出場であったが、ブランクを跳ね返す試合運びで勝ち進み、前年同様に石川佳純との対戦になった決勝ではゲームカウント1-2の劣勢から3ゲームを連取する逆転勝ちを収めて2年連続優勝を飾った。 2013年の第52回世界卓球選手権個人戦では、世界ランク166位の朴晟恵(大韓民国)に緒戦で当たり、2-3の逆転負けを喫した。6月の荻村杯ジャパンオープンでは女子シングルス決勝で文玄晶(大韓民国)に4-0で勝利し、日本女子選手として初となる荻村杯優勝を果たした。 2014年の全日本卓球選手権大会女子シングルスにて、準決勝で森さくら(昇陽高)にストレートで敗れた。敗戦後、左第5中足骨の疲労骨折を発症したため、自国開催( 日本・東京)の第52回世界卓球選手権団体戦を欠場した。6月13日の韓国オープンから公式戦に復帰する。荻村杯の女子ダブルスでは若宮三紗子とのペアで出場し、決勝で前年の世界選手権銅メダルペアの馮天薇、于梦雨組(シンガポール)を破り優勝。 9月、仁川アジア大会の団体戦決勝で中国と対戦し、チームは敗れて準優勝だったが、自身は第1戦で丁寧から初勝利をあげた。 2016年8月のリオデジャネイロオリンピックでは女子最年長で代表に選出。シングルスでは準々決勝でシンガポールの馮天薇を破り初の準決勝進出。しかし、準決勝では中国の李暁霞、3位決定戦では北朝鮮のキム・ソンイに敗れシングルスでのメダル獲得を逃した。団体戦では全試合で伊藤美誠とダブルスを組み出場。準決勝ドイツ戦ではシングルス3位決定戦を終えた翌日から足に痛みを訴え骨膜炎と診断された、その影響で黒星を重ねてしまい2大会連続の決勝進出を逃してしまったが、3位決定戦のシンガポール戦ではダブルスで1勝を挙げ2大会連続となる銅メダル獲得に貢献した。 リオデジャネイロオリンピック終了後の2016年9月1日に中華民国の卓球選手:江宏傑と国際結婚(入籍)。この件についてリオデジャネイロパラリンピック終了後の9月21日に東京都内で夫妻ツーショット記者会見を開いて正式に発表した。
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