ライセンスと契約にまつわる問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 02:45 UTC 版)
「GNU General Public License」の記事における「ライセンスと契約にまつわる問題」の解説
GPLは契約ではなくライセンスとして設計されている。コモン・ローの法的な権限の及ぶ範囲において、契約は契約法により支配されるが、他方ライセンスは著作権法のもと行使されるため、ライセンスと契約の法的な区別はいくらか重要である。しかしながら、大陸法のような契約とライセンスの相違点がない多くの法体系ではこの区別は意味を成さない。 また、GPLなソフトウェアを受け取ったライセンシーはどの国の著作権法に従うかであるが、これは著作権やライセンスの一般論として定められており、すなわち著作権の準拠法は著作物の利用のあった国の法体系である(これを属地主義という)。よってGPLなソフトウェアを受け取ったライセンシーはその居住する国の著作権法のもと当該ソフトウェアを利用することとなる。 GPLの条項や条件に同意しない("do not agree to")、またはそれらを受け入れない("do no accept")人々は、著作権法のもと、GPLでライセンスされたソフトウェアまたはその二次的著作物(派生物)を複製または頒布する許諾を得ることはない(GPLv2第5節、GPLv3第9項)。しかしながら、もし彼らがGPLで保護されたプログラムを再頒布しないならば、彼らは猶も彼らの組織内でそのソフトウェアを好きなように使用しても構わない。そして、プログラムの利用により作成された著作物(生成されたプログラムもこの中に当てはまる)はこのライセンスの影響範囲に含めることを要求されない。 アリソン・ランダルは、ライセンスとしてのGPLv3はその支持者を不必要に混乱させており、同一の条件や法的効力を維持しつつ、簡略化すべきだと主張した。 日本の独立行政法人、情報処理推進機構がSoftware Freedom Law Centerの協力の下作成した「GNU GPLv3 逐条解説書」によると、GPLが契約かライセンスかの論争は、GPLがエンフォーシブル(enforceable)か否かという問題と同値であると結論付けられている。すなわち、ライセンス違反が発生し、解決が法廷に持ち込まれた場合、GPLソフトウェアの作者に認められる要求が著作権侵害による違反者の頒布差止請求や損害賠償請求に留まるのか、はたまた、ライセンスをエンフォース(強制)し、ソースコードの開示にまで持っていけるのか、といった議論は、GPLが契約か否かという問題に帰着する。大陸法ではGPLを契約と見なせるので(とりわけGPLv2の第2節、GPLv3の第9項は申込と承諾の意思表示であると解釈できる)、仮に法廷に持ち込まれた場合、大陸法の法体系では、差止請求だけに留まらずソースコードの開示まで請求できるとの解釈が述べられている。ただし実際にそのような法的な判断、すなわち判決を下すのは裁判所と裁判官であり、状況によってはGPLが対象とする法的範囲が著作権法よりもさらに小さなものだと見なされ、ライセンサーの権利不行使を宣言するものである、民法の権利濫用の禁止や禁反言を始めとする信義則を述べているだけにすぎないという判決が下される可能性すらもある。 また、契約をもってライセンスを制限することも理論上は可能であるため、GPLでの再頒布時の権限を契約を持って押さえ込むことも可能である。ただしそれが有効と認めた判例は未だもってない。
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