ユーロ圏危機
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/01 15:55 UTC 版)
「グローバル金融システム」の記事における「ユーロ圏危機」の解説
2009年にギリシャで選挙により選ばれた新政権は過去の国家予算データの改竄を暴露した。その年の財政赤字のGDP比率は、前政権が示していた3.7%ではなく12.7%であったことが明らかになった。経済通貨同盟の安定・成長協定でユーロ圏諸国に許された財政赤字は最大でGDP比3%であったが、ギリシャの財政赤字はこれを大きく超えていた。このニュースは市場に警告を発した。ソブリン債務不履行の可能性を懸念する投資家は、ギリシャの債券を売り急いだ。金融政策の自律権を持つ国であれば突然の資本逃避に対して市場介入して自国通貨を減価させショックを吸収し競争力を高めるという伝統的解決策を採ることができるが、ギリシャはユーロを通貨として採用し金融政策の自律権を失っていたのでこのような解決策を採れなかった。ギリシャに続いてポルトガル、イタリア、スペイン(まとめてPIGSと呼ばれる)に危機が広がり、危機が伝染性であることが明らかになった。2010年に格付機関がPIGSの債務格付けを引き下げたため、PIGS国債の借り換えや返済のコストがさらに増加した。この危機は広がり続け、たちまち欧州ソブリン債務危機に発展し、大不況からの景気回復を危うくした。ギリシャなど困難に陥った国々に対しEU加盟国はIMFと連携して7,500億ユーロの救済措置をまとめた。さらにECBは、銀行システムがパニックに陥るリスクを軽減するため、問題化したユーロ圏諸国から債券を購入することを保証した。経済学者たちの理解によると、ユーロ圏は金融統合が深化している一方、危機の予防や抜本的対応に必要な財政統合と政治的統一が欠けており、このことが危機で浮き彫りになったという。一般人は、危機が始まった時、混乱がユーロ圏の解体とユーロの放棄をもたらすかもしれないと推測した。ドイツのヴォルフガング・ショイブレ財務相は、問題国をユーロ圏から追放するよう求めた。現在ユーロ圏危機と呼ばれるこの危機は2009年から続き、2012~2013年キプロス金融危機を含む:12–14:579–581。
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