ユニバーサル映画でのキャリア
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 14:59 UTC 版)
「カーロイ・グロース (イラストレーター)」の記事における「ユニバーサル映画でのキャリア」の解説
1920年代半ば、彼はニューヨークにあったユニバーサルの美術部門で働き始めた。1930年までにグロースとフィリップ・コクランは同社の最初の宣伝責任者にして、フィリップの兄弟だったロバート・コクランによって宣伝美術ディレクターに任命された。1930年代を通して、グロースとコクランは一般的にユニバーサルの宣伝の芸術的な質の高さで評価されてきた。映画『フランケンシュタイン』のためのグロースのディーザーポスターのような画像は、ユニバーサルの初期のホラー映画からの一般に馴染みのなかったキャラクターを大衆に紹介した。ホラーをテーマとした美術作品と並んで、ユニバーサルでのグロースの在籍期間は第一次世界大戦の叙事詩『西部戦線異状なし』(1930年)や初期のスクリューボール・コメディ『襤褸と宝石』(1936年)などの映画の「威信と収益に見合う、活気に満ちた劇的なポスター作品」によって際立っていた。 グロースのポスターデザインは国際市場に輸出されたが、時には修正が施されたり、別バージョンが用意されるケースもあった。英国では、グロースが手掛けたホラー映画のポスターはあまりにも残虐で不気味なものとみなされ、1932年には全英映像等級審査機構が公共の場所での広告表示について、より厳しい内容規制を導入した。 グロースはユニバーサルの映画自体のビジュアルにも影響を与えていた。最も注目すべきものは、フランケンシュタインの怪物の首のスチールボルトのもとになった、より機械的あるいはロボット的な外観を示唆する怪物のコンセプトアートである。比較的小さなディテールである首のボルトは、怪物、特にユニバーサル映画版と密接に関連する象徴的な視覚要素となった。メイクアップアーティストのジャック・ピアス(英語版)はインタビューで怪物の首のボルトの名誉を得たが、アルゼンチン系カナダ人の映画評論家で歴史家のアルベルト・マンゲルはピアスの主張を否定し、グロースのコンセプトアートが先にあったとしている コクランは1937年にユニバーサルを退社したが、グロースは1938年末までユニバーサルで働いていた可能性がある。彼らが去ったあと、1930年代末から1940年代初頭にかけてのユニバーサルのポスターアートは鮮やかなイラストから、平凡な写真のコピーへと移行したことに特徴付けられる衰退に入った。その後、パラマウント映画から移籍したモーリス・カリスがアートディレクターに就任したことにより、ユニバーサルのポスターアートの質が向上した。
※この「ユニバーサル映画でのキャリア」の解説は、「カーロイ・グロース (イラストレーター)」の解説の一部です。
「ユニバーサル映画でのキャリア」を含む「カーロイ・グロース (イラストレーター)」の記事については、「カーロイ・グロース (イラストレーター)」の概要を参照ください。
- ユニバーサル映画でのキャリアのページへのリンク