ユニバーサル映画からの追放と晩年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/18 01:23 UTC 版)
「カール・レムリ」の記事における「ユニバーサル映画からの追放と晩年」の解説
レムリはプロデューサーとして数百本の映画製作に携わり、ロン・チェイニー主演の『ノートルダムのせむし男』『オペラの怪人』の他に『笑ふ男』などの作品を手掛けた。また、1928年に社長の地位を譲られたレムリ・Jrもホラー映画の古典として有名な『魔人ドラキュラ』『フランケンシュタイン』などの作品を製作し、ユニバーサルに多大な利益をもたらした。しかし、世界恐慌の中でも莫大な製作費を投じるレムリ父子の製作姿勢に株主たちが不満を募らせた結果、1936年に二人はユニバーサルから追放されてしまう。 レムリは映画業界での成功後、故郷ラウプハイムに財政支援を行っており、1930年代にはナチス・ドイツからアメリカに移住するユダヤ人の入国手数料を肩代わりして数百人のユダヤ人をホロコーストから救っている。また、移民の受け入れを容易に行えるように国務長官コーデル・ハルに掛け合っている。最晩年の1939年には、ハバナからヨーロッパに送還される人々をアメリカに入国させようと試みている。この試みは失敗し、送還された人々の多くは死亡したと推測されている。 1939年9月24日に心血管疾患のため、ビバリーヒルズで死去した。遺体はシカゴにあるホーム・オブ・ピース墓地(英語版)に埋葬された。
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