ユダヤ教と黙示文学
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ユダヤで第2エルサレム神殿(紀元前539年)が再建されてからエルサレム攻囲戦で破壊されるまで(紀元後70年)が、文学ジャンルとしての黙示文学の盛期である。後期の黙示文学は多く聖書の解釈と結びついている。 紀元前2世紀から紀元1世紀にかけては、ヘレニズムの中心都市であるアレクサンドリアを中心に、ユダヤ人たちの間でギリシャ語でかかれた黙示文学が盛行し、多言語にも訳されるほどの流行を見た。この時期はしかし、パレスチナのユダヤ人国家が困難に直面した時期でもあった。当時の情勢に合わせて、聖書の比喩的な解釈だけでなく超自然的な解釈も行われた。 終末の待望は、すでに紀元前8世紀のユダヤで災いを予言した初期の預言者の間に見られる。預言者アモスはイスラエル王国に、イスラエルにとって「闇であり、光ではない」「ヤハウェの日」がもたらされると予言している(アモス書5:18-20)。ミカは同じような予言をユダ王国に対して行い、終わりの日にシオンの山に向かう「人々の行進」について述べる(ミカ書4章)。その200年後、エレミヤはミカの災いの予言に還る。その予言はエルサレム神殿の破壊とバビロニアへの流刑という政治的事件と連関している。 バビロニア捕囚においてこれらの預言は、外国人の君主の支配を受けるという歴史の中における審判となり、民族への審判と結びつき、また普遍化された (例、イザヤ書2章)。またメシア待望はしばしば黙示文学的になり、メシアが世界における不正と暴力の歴史を終焉させ、審判を行うという観念に発達した(イザヤ書9章)。イザヤ書においては、メシアは世界を支配する王となり、自然法則の変化にいたる全宇宙の究極の変化をもたらすと考えられている(イザヤ書11章)。 またエゼキエル書、ダニエル書にも黙示文学が発達する。ダニエル書ではもはやメシアによる地上の支配は語られず、神の宇宙支配が問題とされる。 紀元前2世紀から紀元前1世紀にかけては、さらに多くの黙示文学が書かれた。エチオピア語のエノク書、4書からなるエズラ書、クムランの「戦争の巻物」(紀元前130年頃)などである。しかし紀元2世紀までには、エルサレムを離れヤムニアに拠点を移した、正統派のユダヤ教指導者らによって、黙示文学の善悪二元論が批判されるようになっていった。 1世紀末のヤムニア会議は、これら黙示文学の多くをユダヤ教の正典から取り除き、ダニエル書に含まれていた黙示のみを、聖書の預言者たちの正統な継承としてタナハに組み入れた。
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