モンマスにおける禁酒令
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「モンマス (オレゴン州)」の記事における「モンマスにおける禁酒令」の解説
モンマスを開拓したエライジャ・ダビットソンとその家族は、イリノイ州モンマスに住む敬虔なクリスチャンでかつ熱心な禁酒運動の賛同者であった。1852年、エライジャが63歳の時に彼とその家族はオレゴン準州へと旅立った。そして、2年後の1854年までに彼の親戚を含む十数組の家族がエライジャ一行に加わった。彼らがオレゴンでモンマスを創設してからすぐの1859年2月、ダビットソンたち入植者は禁酒令を発布、これによりモンマスにおける酒類の持ち込み、持ち出し、販売、消費の全てが禁止された。禁酒令の発布に際しダビットソンたちは「これにより町における迷惑行為が防止され、人々の生命と財産を守ることできることに加え、さらに街並みをきれいに保つことができる。」と述べた 商人達による数々の努力にも関わらず、モンマスでは禁酒令が長期間にわたり維持されていた。禁酒令を守ることこそが、宗教心の篤い地元住民にとって最も大切なことであった。禁酒令に対しては宗教、倫理、経済、生活の質など様々な観点から反対意見が19世紀中ずっと存在したが、賛成派の住民は禁酒令こそがモンマスの歴史的遺産であり、モンマスの独自性を増していると主張した。 しかしながら、20世紀に入ると禁酒令に対する賛同の声は徐々に弱まっていった。賛成派の住民は禁酒令維持のために様々な活動を行なったが結局モンマスにおける賛成派の数はますます減少した。さらに、禁酒令が地域の経済発展に悪影響を及ぼしていると言う意見も出始めた。 1970年の住民投票では5倍の差をつけられて廃止派が敗北したが、2002年11月の住民投票でついに禁酒令の廃止が決定。西海岸最後の禁酒町としての長い歴史に終止符が打たれた。
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