ミッションカレッジ・看護学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/14 13:37 UTC 版)
「アジア太平洋国際大学」の記事における「ミッションカレッジ・看護学校」の解説
1937年バンコクで病院の建設が政府に認可され、プラッププラーチャイ五叉路にアドベンテスト病院を建設。その後すぐ1941年にバンコクに「バンコクアドバンチスト看護学校」を建設する計画を進め、開校認可を受けた。しかし第二次世界大戦により東南アジアでも戦端が開かれたため、数ヵ月後には海外医療関係者が東南アジアから退避。開校は延期された1945年に戦争が終結すると医療活動を再開し、1946年にバンコクアドバンチスト病院をバンコクドゥシット区ピッサヌローク通り430に移転した。その一年後の1947年、エレン・ワーデール看護婦長(Ellen Waddell)とルース・モンロー(Ruth Monroe)看護学校長の主導の下、病院建物内に看護学校を設立した。そのときの学校のミッションは、「適切な訓練、看護士の育成、若者たちへの神の愛の伝授」であった。ワッデル看護婦長は学生に一人一人に面接を行い、33名を第一期生として教育を施し、3年後の1950年に25名の看護婦に看護資格免状を授与した。1950年代の看護学校の初期発展期において、学校は急速に発展していった。 1955年、医療技術、X線技術、麻酔技術の各コースに続いて助産コースを開設した。しかし、これらのコースは医療、カリキュラム要件の変更に伴い、後にコースは閉じられることになる。1967年バンコクとチェンコーンに卒業した看護士向けの寮と設備を備えた助産クリニックを開設。更なるカリキュラム改正とプログラムの拡充で、助産教育は学校の基礎看護プログラムに組み込まれていった。1958年には三階建ての新寮と校舎がシリキット王妃の臨席の中で開館。その後、カレッジはタイ王室の庇護を受けることになった。 1980年代、サリニー・ナワラッタナ(Salinee Navaratana)の指導の下、タイ政府の看護士の専門性向上の方針に応える形で、学校は1986年に4年制看護科学学士コースを設立。1988年には新校舎を建設して、組織名称をミッションカレッジに変更した。その後、1990年にムアックレックキャンパスに1年次、2年次教育を移転。2000年までに、1,000人の看護士が卒業している。
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