ミッションカレッジへの統合と刷新
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/01/14 13:37 UTC 版)
「アジア太平洋国際大学」の記事における「ミッションカレッジへの統合と刷新」の解説
1996年、シンガポールの東南アジアユニオンカレッジの閉校が決まると、教会主導層は、9ヶ月の移転に関する調査研究を行い、東南アジアユニオンカレッジの質の高い国際プログラムとミッションカレッジのタイ語プログラムを融合させて、タイのムワックレックに新しい国際教育機関を創設することにした。。 再編されたムワックレックのミッションカレッジの責務は、まず看護プログラムとタイ語プログラムの維持しつつ、学部レベル、大学院レベルで国際教育機関の基準に引き上げることであった。そこで大学格を得ることのできるレベルに教育レベルを早急に引き上げ、東南アジアの国々にサテライトキャンパスを置くという野心的な計画が計画された。 1997年新教職員と新教育プログラムの編成が早急に行われた。最初の学位として国際カリキュラムが1999年初頭に政府の承認を受け、2001年初頭までにさらに8つの国際プログラム専攻が承認された。 キャンパスの設備は再び大きく設計が変えられ、1500人の学生を収用し、教育する施設が建設された。 1997年から2001年のムワックレック・ミッションカレッジの教育施設再開発は、一回の教育施設開発プログラムとしては150年間のセブンデーアドベンチストの教育史の中で最大規模の投資となり、アメリカ合衆国からも2000万ドルを超える投資が行われた。 東南アジアユニオンミッションの教会代表ロビン・リッチズ牧師(Robin Riches)は東南アジア地域における高等教育の推進を支援し、この新組織の財政支援への門戸を開いた。この組織改変の中、シリポーン・タンティプーンウィナイ博士(Siriporn Tantipoonwinai)は新組織の学長に、ウォン・イェウチョン博士(Wong Yew-Chong)が副学長に就任し、新組織の教育プログラムの作成に従事した。またトム・マッセンギル(Tom Massengill)が会計を務め、施設計画を推し進めた。2002年7月、校舎、キャンパスの整備計画とともに完了した。
※この「ミッションカレッジへの統合と刷新」の解説は、「アジア太平洋国際大学」の解説の一部です。
「ミッションカレッジへの統合と刷新」を含む「アジア太平洋国際大学」の記事については、「アジア太平洋国際大学」の概要を参照ください。
- ミッションカレッジへの統合と刷新のページへのリンク