東南アジアユニオンカレッジ
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「アジア太平洋国際大学」の記事における「東南アジアユニオンカレッジ」の解説
東南アジアユニオンカレッジ(Southeast Asia Union College:SAUC)は、大学の前身となる3教育機関のなかで最も古い機関であり、東南アジア地域で初のセブンスデー・アドベンチスト教会伝道師であったG・F・ジョーンズがシンガポールに創設したシンガポール訓練学校(中等教育)に始まる。1920年代初頭に、訓練学校はアッパー・セラングーン・ロードの広い敷地に移り、1990年代末まで運営された。 1950年代、訓練学校では高等教育を開始し、1956年短期大学(ジュニア・カレッジ)に昇格した。2年間の牧師訓練プログラムを導入し、続けて同様の教育と経営プログラムを導入した。1960年代にはいると、訓練校は小規模リベラル・アーツ・カレッジに成長し、教育学と神学の分野で学士課程を提供し始め、学生数は順調に増えていった。しかし、当時政府の基準に満たず、完全な大学としての認可が下りていなかった。 そこでカレッジは教育施設、資産の拡充を行い、他の海外のアドバンチスト系の大学とパートナーシップ形成を模索した。1984年アメリカ合衆国ワシントン州のワラワラ大学と提携することでアメリカの公認大学の学位プログラムを提供し始めた。1990年代中ごろにはさらに学位の種類も増え、経営、コンピュータ情報システム、オフィス行政、宗教、英語教授法などの学位の提供をはじめた。 1996年、シンガポール政府が都市交通開発事業のために大学の所有地を収用することを通達したため、教会主導陣はカレッジの移転を余儀なくされた。そこで1998年7月に在留学生を他の教育機関、カレッジに編入させ、シンガポールでの教育活動を終了。動産の一部は売り払って処分し、残りは新キャンパスとなるタイ王国サラブリー県のムワックレックキャンパスに移転した。
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