マルベルゲンの戦闘とは? わかりやすく解説

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マルベルゲンの戦闘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/15 01:04 UTC 版)

ミンデンの戦い」の記事における「マルベルゲンの戦闘」の解説

その間連合軍のヴトギナウ中将率い師団と、イムホフ(ドイツ語版中将1702年-1768年指揮下のヘッセン人とブラウンシュヴァイク人から構成される師団はホルツハウゼンの南で行軍完了した。シュテンマーの南には、ホルシュタイン=ゴットルプ公中将1719年-1763年)の騎兵隊集結する。その間にはブラウン大佐率いハノーファー砲兵旅団進出し、フィッツジェームズ公がマルベルゲンの南方集結させようとして果たせいでいるフランス軍騎兵隊を、その砲撃足止めしていた。これら、連合軍の9個部隊に対してコンタード侯はボーグ中将率い騎兵旅団、「コロネル・ジェネラル」を差し向けたが、その攻撃撃退された。 ブラウンシュヴァイク公フェルディナントは再びサックヴィル卿に対しそれまで戦闘フランス軍中央生じた大きな間隙指揮下の騎兵突入させるよう命じた。こうしてフランス全軍殲滅ようとしたのである。しかし、サックヴィル卿は躊躇した。この日、ブラウンシュヴァイク公命令持って来た副官(Aide-de-camp)が彼の許に到着する。サックヴィル卿は公の指示矛盾しており、前日戦闘計画に少しも合っていないと言った結局、彼は問い合わせのため自ら最高司令官である公の許に駆け付ける。公は計画変更されたことを伝え新しい命令に従うよう彼に求めた。サックヴィル卿はハルトゥムの、自身騎兵隊へと戻る。そこでは部下一人グランビー卿(英語版)(1721年-1770年)が自ら騎乗突撃敢行ようとしている所であった。しかし、サックヴィル卿は彼を引き留めじっくりと、これ以上ないほど時間をかけて騎兵戦場へ向かわせるべく準備始めた。後に、彼はその騎兵隊行動についてこう報告している。 「私は騎兵動きや、混乱最初兆候見られる中で停止することに最大限注意を払っていても、間隔戦列保持大変な困難を感じていた。力と速さをもって攻撃するには、急ぐことも混乱するともなく前進しなくてはいけないのである。」- サックヴィル卿 サックヴィル卿の騎兵24個中隊がようやく戦場到着した時、戦闘はすでに終わっていた。これらの部隊欠如同日、なお重要な影響もたらす。 コンタード元帥その間にマルベルゲンへ到着し、ボープレウ中将率い第1集団の2個歩兵旅団、「トゥーレーヌ」と「ルエルグ」(8個大隊)に、連合軍戦列攻撃するよう命じた。その支援のため最後騎兵旅団、「ドゥ・ロワ」も分派された。しかしこの攻撃は、兵力大幅に勝るヴトギナウ及びイムホフ師団直面し難なく撃退された。続いて師団反撃に移る。ヘッセンの「トル」、「ギルザ」、「プリンツ・ヴィルヘルム」及び「グレナディーレ」連隊その後、「ログー」と「デュ・フランス」擲弾兵連隊及び大砲8門を備えた砲兵大隊が守るマルベルゲンの占領試みたフランス軍何度もその攻撃跳ね返したハノーファー近衛騎兵連隊も、大きな損害被りつつも敵の砲兵大隊攻撃する。しかし、ヘッセンの2個大隊銃剣突撃成功させ、大砲5門を鹵獲したのはようやくその後のことであった打ち破られフランス軍の諸大隊一斉に後退したが、ホルシュタイン=ゴットルプ公騎兵19個中隊が追いついた。多数フランス兵捕虜となり、さらに大砲9門が鹵獲される。完全な崩壊を防ぐため、「ドゥ・ロワ旅団」は反撃敢行し、局地的な成功収めた。しかし、この旅団撃退される中央でコンタード侯が保持していたのは、第2集団の「オーヴェルニュ」と「アンハルト」旅団のみであった。これらはノイラント迎撃陣形整え最終的に連合軍騎兵部隊食い止めるブロイ公指揮下の騎兵一部10個中隊)を右翼から救援回した。これらの騎兵隊は、それまでクーテンハウゼンとシュテンマーの間にいてこの攻撃参加したヴァンゲンハイム軍団騎兵16個中隊と激戦繰り広げた

※この「マルベルゲンの戦闘」の解説は、「ミンデンの戦い」の解説の一部です。
「マルベルゲンの戦闘」を含む「ミンデンの戦い」の記事については、「ミンデンの戦い」の概要を参照ください。

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