マルベリー島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:19 UTC 版)
「フォート・ユースティス」の記事における「マルベリー島」の解説
現在、フォート・ユースティスが所在しているジェームズ川に沿った低地は、植民地時代にはマルベリー島と呼ばれ、1607年にバージニア州ジェームズタウンが創設された直後からイギリス人入植者が定住していた。1610年の夏、マルベリー島付近を流れるジェームズ川で、バージニア州の歴史上、重大な出来事があった。その時、不運に見舞われたイギリスからの第3次支援団および「飢えの時」を乗り越えたジェームズタウン植民地の生存者たちは、危機的状況にある植民地を放棄し、イギリスに向かうため船に乗り込んでいた。そこに、イギリスから補給物資を運んできた第4時支援団を指揮するデラウエア卿が到着したのである。デラウエア卿は、ジェームズタウンを放棄したばかりの入植者たちを説得して、その船をイギリスではなく植民地へと帰還させ、植民地の将来を一変させた。 植民地を離脱しようとしていた入植者の中の一人であったジョン・ロルフは、1609年に第3次支援団の一員として、妻や子供と一緒にイギリスから入植する際、輸出に適した作物になると考えられた、従来とは異なる種類のタバコの種子を持ち込んでいた。第3次支援団がバミューダで難破した際にロルフの妻子は亡くなってしまったが、タバコの種子は残っていた。 1612年までに、デルウェア卿は、その能力と資産を生かして、ロレフのタバコを新たな商品作物へと育て上げ、植民地に経済的安定をもたらし、その基盤を築き上げた。1614年、タバコ農場の所有権を獲得したロレフは、ポカホンタスと結婚した。その後300年の間、1918年に連邦政府によって買収されるまで、マルベリー島の開発が進むことはなかった。
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