マルベリー・ベンド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/05 01:40 UTC 版)
「マルベリー・ストリート (マンハッタン)」の記事における「マルベリー・ベンド」の解説
詳細は「マルベリー・ベンド」を参照 この通りの名前はマルベリー・ストリートの屈曲部であるマルベリー・ベンドにマルベリーツリー、つまり桑の木が並んでいたことから名付けられた。スクリブナーズ・マガジンでは「マルベリー・ベンドはマルベリー・ストリートの狭い曲がり角で、背の高い長屋の曲がりくねった渓谷である。...たくさんの人でいっぱいで行き来するものが歩道から通りのほぼ中央まで広がっている。...歩道の大部分と側溝は商売人のスタンドが占有していて群集は通りにいる。(Mulberry Bend is a narrow bend in Mulberry Street, a tortuous ravine of tall tenement-houses... so full of people that the throngs going and coming spread off the sidewalk nearly to the middle of the street... The crowds are in the street because much of the sidewalk and all of the gutter is taken up with vendors' stands.)」と書かれている。 ジャーナリスト兼写真家のジェイコブ・リースは、ニューヨーク市における最悪のスラム街であるマルベリー・ベンドの治安を良くしようとした。中でも1902年出版の本『The Battle with the Slum』に載せられた"A Mulberry Bend Alley"と"Mulberry Bend becomes a park"という2枚の写真は、公園ができて明るくなった表通りとそれでもなお暗い路地裏という対比したマルベリー・ベンドの風景を写しておりマルベリー・ベンドの治安向上を呼びかけていた。リースを始めとするこのような運動に対応して、市は1890年代に多くのスラム街と化した通りを買収し安アパートを公園に置き換えた。
※この「マルベリー・ベンド」の解説は、「マルベリー・ストリート (マンハッタン)」の解説の一部です。
「マルベリー・ベンド」を含む「マルベリー・ストリート (マンハッタン)」の記事については、「マルベリー・ストリート (マンハッタン)」の概要を参照ください。
- マルベリー・ベンドのページへのリンク