マイケル・ジャクソンの自宅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/21 02:17 UTC 版)
「ネバーランド・ランチ」の記事における「マイケル・ジャクソンの自宅」の解説
ジャクソンは1988年にボーンからこの土地を購入した。購入額は明かされていないが、推定では1,950万ドルとも3,000万ドルとも言われる。この不動産は当初、プライバシーを考慮して、ジャクソンの弁護士ジョン・ブランカと彼の会計士マーシャル・ゲルバンドを受託者とする信託によって購入された。1988年4月にジャクソンがこの取り決めを取り消し、彼が直接の所有者となった。ここは、ジャクソンの自宅であると同時に、多数の彫刻のある庭園やペットの動物を飼う動物園があるプライベートな遊園地でもあった。 敷地内には3つの鉄道があった。1つは「ネバーランド・バレー鉄道」と名付けられた軌間3フィート(914 mm)の狭軌で、母の名を冠してキャサリンと名付けられた蒸気機関車(クラウン・メタル・プロダクツ(英語版)社1973年製 車輪配置 4-4-0(2B))と2両の客車を走らせていた。2つ目は軌間2フィート(610mm)の狭軌で、チャンス・ライド(英語版)社製のC・P・ハンティントン(英語版)のレプリカ機関車を走らせていた。3つ目は、ジャクソンが自分の子供のプリンス、パリス、ブランケットのために購入した特注の電車である。この列車は、2001年にドイツのElektro-Mobiltechnik社が製造したものである。この列車は、母屋の裏にあるヤードに設置され、100フィートの線路を走行していた。 観覧車、メリーゴーラウンド、ジッパー、オクトパス、海賊船、回転ブランコ、スーパースライド、ジェットコースター、バンパーカーなどの遊具もあった。 ネバーランドでは、1991年にエリザベス・テイラーとラリー・フォーテンスキー(英語版)の結婚式、1993年にオプラ・ウィンフリーによるジャクソンの生インタビューが行われ、1995年にはジャクソンと当時結婚していたリサ・マリー・プレスリーが世界中の子供たちを招いたイベントが行われた。 2003年には、ジャクソンの児童性的虐待疑惑によりネバーランドも警察官による捜索を受けた。ジャクソンは全ての容疑に対して無罪を勝ち取った。しかし、ジャクソンは、もはやここを家とは考えておらず、二度とこの土地には住まないと述べ、ネバーランドに戻ることはなかった。マイケル・ジャクソンの姉のラトーヤは、2012年の回顧録『スターティング・オーバー』の中で、兄の裁判中にネバーランドに滞在した経験を綴っている。2006年には施設は閉鎖され、スタッフのほとんどが解雇された。ジャクソンの広報担当者は、これはジャクソンがもはやそこに住んでいないためだと述べた。 ネバーランドは、ジャクソンに対する児童虐待疑惑の中心的な役割を果たしており、ジャクソンに対する告発者が、ここで性的虐待が行われたと証言している主要な場所の一つである。ネバーランドと性的虐待疑惑との関連性は、ネバーランドの価値が大幅に低下した理由である可能性があるとされている。
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