マイクロディシジョン
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「ジョージ・モロー」の記事における「マイクロディシジョン」の解説
1982年、モローデザインズ社はマイクロディシジョン(Micro Decision, MD)の製品ラインを発表した。これは、コンピュータハードウェアの高価格化に対抗するために設計された、シングルボードZ80マシンの製品群である。シングルドライブの200kシステムは、ターミナルを装備して2000ドル以下で販売され、これにより、他のCP/Mシステムとの競争が激化した。他のCP/Mシステムは、「(ホビイストに訴えかけるような)性的魅力はない」(no sex appeal)が、広範なバンドルソフトウェアを備えた立派なビジネスマシンであり、IBM Displaywriter System 6580(英語版)をライバルとして意識し、それと同様のデスクトップケースに入っていた。 マイクロディシジョン(MD)シリーズは、1982年後半にリリースされた。1つまたは2つの片面のフロッピードライブを備え、トラックあたり1024バイトのセクタを5つで、1ディスクに40トラックのディスク形式を使用し、非フォーマット状態で約200kBの容量があった。マイクロディシジョンのフロッピーコントローラ(FDC)は、一般的なWD 17xxシリーズのFDCではなく、IBM PCで見られるNEC u765 FDCをベースにしていた。コンソールI/OはLear-Siegler ADM-20ターミナルによって提供された。ADM-20はグラフィック表示に対応していたが、端末の電源を切らずにグラフィックモードから切り替えるための規定がなかったため、モローはこの機能を使用しなかった。その後、モローはLiberty 50端末を提供し、公式にグラフィックの使用に対応した。初期のマイクロディシジョンにはセントロニクスポートがなく、ターミナルとプリンタやモデムを接続するために2つのRS-232ポートのうちの1つを使用していた。ポートのボーレートを調整するためのディップスイッチは、カバーを外して操作する必要があった。また、2台の外付けフロッピードライブを取り付けるためのコネクタも用意されていた。 マイクロディシジョンは、プリント基板(PCB)の主要な改訂を2回、ケースの改訂を3回行った。バージョン2.0のPCBは1983年春に導入され、改良されたデータ分離回路がフロッピーコントローラに追加された。34ピンの外付けフロッピーポートはセントロニクスポートに変更され、3台目と4台目のフロッピードライブを追加するには、それらをケース内の内部チェーン上に配置する必要があった。初期のマイクロディシジョンの電源は、2台以上の内蔵フロッピードライブを動作させるには不十分だった。バージョン2.0のPCBには、着脱可能な電源コードを備えた、より充実した動力供給装置(PSU)が付属していた。いくつかのROMとCP/Mリビジョンもあったが、フロッピードライブ#4にアクセスできないというバグがあり、最終バージョンのROMリビジョンでようやく修正された。最終バージョンのROMリビジョン(v3.1)には、以前にディスク上で提供されていたいくつかのOS機能も組み込まれていた。バージョン2.0のPCBには、40ピンの拡張コネクタも含まれていた。Intel 8253(英語版)タイマが追加され、RS-232ポートのボーレートをより柔軟に設定できるようになった。説明書上ではUARTシリアルコントローラチップは19kボーレートに対応しているとしていたが、シリアルポート回路の設計上の欠陥により、9600bps以上の速度で使用することができなかった。バージョン2.0のPCBが発表されたのと同時に、モロー社は400kのストレージ容量を持つ両面フロッピードライブを2つ搭載したMD-3の提供を開始した。 MDシリーズの最後のマシンは、メモリ128k、CP/M 3.0、オプションで10MBのハードディスクを搭載した大幅にグレードアップした「MD-11」だった。
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