ポー平原の文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 01:35 UTC 版)
ポー川はイタリア最大の川であり、独特の風土、文化を育ててきたが、文学の面からみると、その流域、すなわちポー平原の文学は「シチリアの文学」や「メッゾジョルノの文学」に比べると、地方の文学としての独自な輪郭と一貫した性格を持っていない。 豊かな穀倉地帯として経済的な力にも恵まれたエミリア・ロマーニャ州のなかでも、11世紀にイタリア最古の大学の誕生をみたボローニャは、以来、イタリア半島の学芸の一大中心地となった。13世紀にはダンテが師と仰いだグイド・グイニツェリ、散文では俗語散文の開拓者グイド・ファーバが登場し、14世紀にはダンテの『神曲』解釈が盛行し、異端の詩人・天文学者チェッコ・ダスコリ、寓意詩人の聖職者フェデリコ・フレッツィらをボローニャは輩出した。コムーネの時代を迎えると諸侯の宮廷にいわゆるルネサンスの文化が咲き誇り、ポー川流域ではエステ家を擁するフェラーラとゴンザーガ家のマントヴァが文化的に優位に立った。特筆すべきはフェラーラの騎士物語叙事詩の伝統であり、ボイアルドからアリオストの『狂えるオルランド』に至ってそれは頂点を極めた。アリオストの後、宗教改革に対する反動の時代に流浪の生涯を送った詩人タッソも、その創作歴のなかでフェラーラおよびマントヴァに大きな足跡を印している。 つづいてマリーノの優美な詩が一世を風靡したバロックの時代には、ボローニャやモデナにマリニズモの詩人たちが輩出し、アルカディアの時代に目を移すとともにモデナの図書館に勤めた2人の博学者ムラトーリとティラボスキの広範な業績が光る。ロマンティシズムの時代にはみるべき営為がなかったが、19世紀後半から20世紀初頭にかけて相次いでボローニャ大学の教壇に立った2人の巨星、カルドゥッチとパスコリが登場し、華やかな文学活動を行った。現代文学では、大河に生きる人びとの姿に重ねてイタリアの現代史を描いたバッケリの長大な歴史小説『ポー川の水車小屋』を挙げられる。また戦後文学では、フェラーラに腰を据えて抒情性あふれる小説群を書きつづけるバッサーニの存在が上げられる。 典拠管理 GND: 4046436-2 LCCN: sh85103637 NKC: ge243742 VIAF: 315128864 WorldCat Identities(VIAF経由): 315128864
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