プルードン派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 15:10 UTC 版)
また、既にその名称が何度も登場するプルードン派について言及したい。 ピエール・プルードンの思想は第二帝政期のフランスで最も影響力のある思想であり、後のアナーキズム思想の先駆けであった。かれの思想はまさに農民主義、職人主義そのものと言っていいだろう。プルードンは「財産とは盗みである」と語り、大資本と金融業による搾取を告発した。中小規模の土地所有と工房、作業場の経営に基づく小財産を個人資本として、これを足掛かりに平等な諸個人が自立と相互扶助の関係を保ちながら協同組合を形成して中央政府に対する自由を確立していき、自由な個人の連帯によって新社会を建設するという「相互主義」思想であった。この思想は農民や職人の支持を集め、パリの職人労働者の政治文化に影響を与えていった。アンリ・トランや初期のウジェーヌ・ヴァルラン(英語版)などのエリート労働者に多くの示唆を与えた。ただし、自由な職人や農民たちの古い産業秩序を維持しようとする余り、第二帝政に対する批判に欠け、現状容認的な傾向が強かった。事実、プルードンは労働者の自立を重視する一方で暴力的な現状変革を認めなかったため、ストライキに公然と反対していた。このグループは、フランス各地でストライキが猛威を振るう1867年以降の時代状況の変化に付いていけずに急激に衰退していく。 「プルードン」および「第一インターナショナル」も参照
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