アナーキズムの台頭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 14:34 UTC 版)
「第一インターナショナル」の記事における「アナーキズムの台頭」の解説
バクーニンはイタリアを中心に活動しており、「平和自由連盟」の中央委メンバーとなっていたが、「連盟」から離脱し1868年新たなの活動団体として国際社会民主同盟(英語版)を組織した。バクーニンは、無神論、階級の平等化、相続権の廃止、政治活動の拒否を唱えて支持者を集めていった。その活動は生活力のある労働者には差して支持は広まらなかったが、学生やインテリ、そして貧困労働者など社会的立場の乏しい人々に支持基盤があった。1868年12月、「国際社会民主同盟」とバクーニン一派はIWAへの加入を申し入れたが同盟を解散させない限り認められないとして、バーゼル大会(英語版)では加入を断られていた。 しかし、バクーニン一派は組織を解散したように見せかけてIWAに密かに潜入して部内に分派を形成し始め、影響力を行使しようと試みるようになる。土地国有化や労働組合に関する問題では、マルクス派とバクーニン派は協調してプルードン派などを抑える役割を果たしていた。こうしてIWA内ではアナルコ・サンディカリズムが台頭し始め、組織内で亀裂が生じていった。 「アナルコ・サンディカリズム」も参照
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