ブルマーを衣装としていた頃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:37 UTC 版)
「紺野ぶるま」の記事における「ブルマーを衣装としていた頃」の解説
デビュー当初は芸名の通り、ブルマーを衣装としていた。ブルマーを衣装にしようと思い立ったきっかけは、テレビで「ブルマパーティ」(くまだまさし、ハイキングウォーキング鈴木Q太郎がブルマーを履いてやっていたユニット)をテレビで視て笑い死にそうになったということで、「私もブルマを履いてこの中に入りたい」と思ったことからだったという。「手放しで喜べるようなアメリカ的な笑いをやりたかった」とも話している。この当時は、頭には大きなリボンを付け、上半身はチアリーダーのシャツやフラメンコ風の衣装などいくつかパターンがあった。この時の主なネタに、ブルマーを重ね着し、両手にシャウティングチキン(ニワトリのおもちゃ)を持って、シャウティングチキンを振り回しながらダンスをしたりしながら行うものがあった。この他、マジシャンに扮し、2枚重ねしていたブルマーを1枚脱いで「ブルマジック」と称したネタ、ブルマーに食パンを挟んで「はみパン」としたネタなども披露していた。この頃は不細工に見せようと思って、おかっぱなどの変わったかつらを被って出演していたことがあった。他には、レディー・ガガのようなかつらとキャラクターでネタを演じることもあった。ポーズをとって「オッケー!」と言うこともあった。最後は「サンキューブルマッチ!」という台詞で主に締めていた。この時は、ブルマーを穿くことで女を捨てての「愚の骨頂」を表現したつもりで、本人曰く「ネタの内容は全くエロくなかった」が、周りからは「女を武器にしている」と思われていたという(「女を武器にした女性芸人が苦手だった」「性別に関係なく割り切って見て欲しかった」などとも話している)。本人は「(高校は)女子高なので、周りに異性がいなかったから、ブルマ姿でいると面白いみたいな空気になる(という意識が染みついていた)」ということで「要は世間知らずだった」と話している。 ブルマーネタを評価したり褒めてくれる人もいたが、賞レースなどでは結果を出せず、「股間が気になってネタを見ていない」と言われたり、養成所の先生から酷評されたり、オーディションに行った時にディレクターからセクハラ的な口説きをされたなどもあって、結局世間とのズレを感じて、2011年~2012年以降は、ブルマーを衣装としたネタを実質上辞め、主に漫談、女子生徒、女教師などのキャラクターに扮した一人コント、「こんな女は嫌だ」などがテーマのいわゆる“あるあるネタ”でなどを披露している。なお、ブルマーネタを辞めた理由は先述の世間とのズレを感じたこと以外に、ブルマーを履いてネタをしても男性芸人には絶対に勝てないと気付いて「みんな自分の好きなお笑いでやっていけるわけじゃない」と思い直し、ブルマーネタはやりたかったけど諦めたとしたことや、「ブルマーもののアダルトビデオを観て急に恥ずかしくなった」こともあったからだという。
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