ファルケンハウゼンの対日戦術とは? わかりやすく解説

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ファルケンハウゼンの対日戦術

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:20 UTC 版)

中独合作」の記事における「ファルケンハウゼンの対日戦術」の解説

1935年1月ファルケンハウゼンは、中国国防基本方針題する対日戦略案を蔣介石提出するそのなかで日本攻撃してきたとしても、日本ソ連対策をとらざるをえず、また中国利害をもつ英米とも対立すること、そして日本そのような全面的な国際戦争には耐えられないこと、従って、中国長期戦持ち込みできるだけ多く外国介入させることをファルケンハウゼン提案した。また同年10月1日には、漢口上海にある租界地日本軍奇襲し主導権を握ることを進言している。ファルケンハウゼン中国にとっての第一の敵を日本第二共産党とらえていたのである。しかし、蔣介石何応欽らは当初第一の敵を共産党みなしていたため、ファルケンハウゼン進言反対した。しかし1936年4月1日ファルケンハウゼンは「欧州第二次大戦開始し英米の手塞がらないうちに、対日戦争を踏み切るべきだ」とさらに進言した。 かつてゼークト立てた計画ドイツの軍事理論基づいており、国民革命軍十分な装備訓練受けた60師団へと縮小させることを要求していた。しかし、軍のどの部門廃止かが問題となっていた。黄埔軍官学校訓練され将校達は、各地の元軍閥将校より優れており、蔣介石政治的優位支えるのに役立った国民革命軍の内、8個師団ドイツ式訓練され主力となった。この改革は、蔣介石盧溝橋事件後に日本対す徹底抗戦踏み切る決断要因のひとつとなった可能性がある。しかし、国民革命軍はまだ強化途中であり日本軍対抗できるほどの力を持っていなかった。蔣介石は、幕僚ファルケンハウゼン反対に関わらず1937年の上海戦に全兵力3分の1投入し貴重な戦力失ったファルケンハウゼン蔣介石対し消耗戦持ち込んで日本軍疲弊させることを提案した。それは、黄河防衛線を守ること、ただし当面の間黄河北部攻撃しないこと、そのために山東省を含む中国北部放棄すること、撤退急がないことなどから成っていた。さらに、鉱業地帯海岸河川陣地構築しゲリラ作戦を取ることを勧めたそうすれば日本徐々に消耗してくだろう説明したゲリラ戦は、第二次国共合作提携した共産党得意技であったファルケンハウゼンは、中国国民革命軍日本軍抵抗できるだけの装備確保するのは当面難しいだろう予想していた。中国産業近代化始めたばかりであり、ドイツ国防軍並の装備をするには時間がかかる考えていた。そのためファルケンハウゼンは、浸透戦術取り小型兵器装備した機動部隊設立必要だ論じた

※この「ファルケンハウゼンの対日戦術」の解説は、「中独合作」の解説の一部です。
「ファルケンハウゼンの対日戦術」を含む「中独合作」の記事については、「中独合作」の概要を参照ください。

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