ドビュッシー:ピアノのために
英語表記/番号 | 出版情報 | |
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ドビュッシー:ピアノのために | Pour le piano | 作曲年: 1896年 出版年: 1901年 初版出版地/出版社: Fromont |
作品解説
《ベルガマスク組曲》に1890年にとりかかった後、その翌年マズルカを一曲書き、その後、若干の隔たりをおいて生み出された作品(作曲1896年、出版1901年)。 まだ初期の彼の音楽的情緒を随所に残しながらも、その後本格的に開花していくドビュッシー独自の語法が見えかくれしており、ちょうど中間の分かれ道のポイントのような役割をしている曲である。《牧神の午後への前奏曲》、管弦楽のための《夜想曲》、《弦楽四重奏曲》などの諸名作がこの作品に先行して作曲されており、また傑作《ペレアスとメリザンド》もこのすぐ後、1902年に初演された。
典型的な組曲の形を表しており、第一曲はド・ロミリー嬢に、第二曲はE・ルアール夫人に、第三曲はG・コロニオに、それぞれ献呈されている。
〔第一曲〕プレリュード
全体的に非常に激しい部分と、Pでレガートで歌う部分の二つの非常に違う性格の部分によって構成されている。軽快な運動感と色彩感が印象的な曲。「力強く、よいリズムで」。
〔第二曲〕サラバンド
サラバンドとは、17、18世紀のヨーロッパで流行したゆるやかな舞曲である。
高貴な雰囲気をもつ曲。「優雅な落着きとゆるやかさをもって」。
〔第三曲〕トッカータ
古典的な構造をもち、「スカルラッティふう」に始まる。初演時にはこれが好評で、繰り返し演奏されたという。
ピアノのために
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/05/08 02:38 UTC 版)
『ピアノのために』(フランス語: Pour le Piano)は、クロード・ドビュッシーが作曲したピアノ曲集。
概要
1901年完成。ただし第2曲のみ、1894年に『忘れられた映像』の一曲として作曲されたもので、1896年に『グラン・ジュルナル』 (Le Grand Journal du lundi) 紙の付録として単独で発表されたあと、変更を加えてこの曲集に組み入れられた。初演は1902年1月11日の国民音楽協会の演奏会で、リカルド・ビニェスによって行われ好評を収める。出版は1901年で、第1曲と第3曲はそれぞれドビュッシーの弟子だったヴォルムス・ドゥ・ロミリー(Worms de Romilly)とニコラ・コロニオ(Nicolas Coronio)に、第2曲は『忘れられた映像』と同じくルアール夫人(Yvonne Rouart)に献呈された[1]。
『ベルガマスク組曲』[2]と同じく各曲には古典組曲に倣った題名が付けられている。しかし作曲には約10年の開きがあり、全音音階や半音階を生かした語法ははるかに革新的になっている。技巧的なピアノ書法も駆使されており[3]、ドビュッシー独自のピアニズムの始まり[3]や、最初の成熟したピアノ曲[1]と評される。
楽曲
音楽・音声外部リンク | |
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全曲を通しで試聴 | |
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注釈
- ^ a b Lesure, François (1984年). “Preface” (PDF). henle.de. 2018年5月17日閲覧。
- ^ 第3曲「月の光」を除く。
- ^ a b c d 松橋麻利 (2007). 作曲家 人と作品 ドビュッシー. 音楽之友社. p. 182
- ^ 作曲家別名曲解説ライブラリー10 ドビュッシー. 音楽之友社. (1993). p. 102
- ^ Keller, James M. “Debussy (Orch. by Ravel): Sarabande and Danse”. San Francisco Symphony. 2018年5月17日閲覧。
外部リンク
- ピアノのためにの楽譜 - 国際楽譜ライブラリープロジェクト
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