バルフルール岬の海戦
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「バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の記事における「バルフルール岬の海戦」の解説
詳細は「バルフルール岬の海戦」を参照 両艦隊は1692年5月29日(ユリウス暦5月19日)の日の出とともにバルフルール岬沖で双方を視認する。これをうけてトゥールヴィルは軍議を開き、全員の意見が戦闘回避で一致したが、ルイ14世の命令やジャコバイトへの共感がイングランド海軍内部にあるのではないかという期待から結局交戦に踏み切った。しかしイングランド艦隊分裂は起きず、ラッセルの連合艦隊は北東に、トゥールヴィルのフランス艦隊は南から右舷開きで西からの微風にのってゆっくりと接近していった。それぞれの艦隊は3つの戦隊に分割されており、次席、三席指揮官が指揮を執っていた。 当日は風がなかったため、交戦が始まったのは視認から5時間後の午前11時のことだった。 トゥールヴィルは自らが率いるフランス艦隊の中央戦隊を増強し、ラッセルの連合艦隊主力に対抗できるようにした。一方、数で劣る前衛は敵前衛が回り込んでこないように間隔を広げて配置し、後衛は風上側に居続けるために後ろを固めた。ラッセルはこれに対して一歩も退かず、フランス艦が接近するのに任せて出来るだけ長く砲撃戦を続けようとした。前衛のアルモンデはフランス側の前衛と同様に戦列を伸ばし、敵艦隊の風上に回り込もうと試みる。後衛のアシュビーも何とかして彼の戦隊を戦闘に参加させようと努力していた。両艦隊は数時間に渡って砲撃を交わし、双方にかなりの損害を出した。 戦闘は日中の間続いたが、夜の訪れとともに終わった。午後1時になると風向きが変わり、クラウズリー・ショヴェル提督(en)がフランス艦隊の分断に、前衛のオランダ艦隊が敵先鋒の迂回に成功する。午後4時には風が凪ぎ、海域に霧が立ちこめた。午後6時にトゥールヴィルは潮流にのって離脱をはかるが、これはショヴェルが送った火船にとっても順風だった。 午後10時までにバルフルール岬での戦闘は殆ど集結した。この日双方の艦隊の多くが損傷したが、驚くべきことに沈没した戦列艦はなかった。 潮の流れが変わるとトゥールヴィルは戦列を崩し、引き潮にのって海峡を下り退却していった。ラッセルはこれに気づくとやはり戦列を崩し、局面は夜の追撃戦に移っていった。
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