バルフルール岬の海戦とは? わかりやすく解説

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バルフルール岬の海戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/21 09:52 UTC 版)

バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の記事における「バルフルール岬の海戦」の解説

詳細は「バルフルール岬の海戦」を参照艦隊1692年5月29日ユリウス暦5月19日)の日の出とともにバルフルール岬沖で双方視認する。これをうけてトゥールヴィル軍議開き全員意見戦闘回避一致したが、ルイ14世命令ジャコバイトへの共感イングランド海軍内部にあるのではないかという期待から結局交戦踏み切った。しかしイングランド艦隊分裂起きずラッセル連合艦隊北東に、トゥールヴィルフランス艦隊は南から右舷開き西から微風にのってゆっくりと接近していった。それぞれの艦隊3つの戦隊分割されており、次席三席指揮官指揮を執っていた。 当日は風がなかったため、交戦始まったのは視認から5時間後の午前11時のことだった。 トゥールヴィルは自らが率いフランス艦隊中央戦隊増強しラッセル連合艦隊主力対抗できるようにした。一方、数で劣る前衛敵前衛が回り込んでないよう間隔広げて配置し後衛風上側に居続けるために後ろ固めたラッセルはこれに対して一歩も退かず、フランス艦が接近するのに任せて出来るだけ長く砲撃戦続けようとした。前衛のアルモンデはフランス側前衛同様に戦列伸ばし敵艦隊の風上回り込もう試みる。後衛アシュビー何とかして彼の戦隊戦闘参加させよう努力していた。両艦隊数時間渡って砲撃交わし双方かなりの損害出した戦闘日中の間続いたが、夜の訪れとともに終わった午後1時になると風向き変わり、クラウズリー・ショヴェル提督en)がフランス艦隊分断に、前衛オランダ艦隊が敵先鋒迂回成功する午後4時には風が凪ぎ海域が立ちこめた。午後6時トゥールヴィル潮流にのって離脱をはかるが、これはショヴェル送った火船にとっても順風だった。 午後10時までにバルフルール岬での戦闘は殆ど集結した。この日双方艦隊多く損傷したが、驚くべきことに沈没した戦列艦はなかった。 潮の流れが変わるトゥールヴィル戦列崩し引き潮にのって海峡下り退却していった。ラッセルはこれに気づくとやはり戦列崩し局面は夜の追撃戦移っていった。

※この「バルフルール岬の海戦」の解説は、「バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の解説の一部です。
「バルフルール岬の海戦」を含む「バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の記事については、「バルフルール岬とラ・オーグの海戦」の概要を参照ください。

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