中央戦隊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/16 02:52 UTC 版)
両艦隊の中央部の戦闘は、イギリス戦列の2つの独立した戦隊によって分かれていた。前半部はベンジャミン・コールドウェル(英語版)提督とジョージ・ボウヤー(英語版)の部隊、そして後半部はハウの直率部隊である。クイーン・シャーロット座乗のハウがフランス艦隊と接近戦を行っているにも関わらず、前半部にいる部下たちの動きは精彩を欠いていた。前半の部隊は並走する敵艦に直に突撃する代わりに、縦列陣形を組んだまま粛々と遠距離法を撃ってフランス艦と交戦していたが、先頭に立つディフェンスが敵の攻撃にさらされるのを阻止することはできなかった。この戦隊の全艦のうち、トーマス・ペケナム(英語版)艦長のインヴィンシブルだけがフランス戦列に接近した。インヴィンシブルの突撃には支援する艦がおらず、大きな損害を受けながらも、どうにかして自分より大きい敵艦ジュスト(英語版)に攻撃を仕掛けようとした。ボウヤー指揮のバーフラーは遅れて戦闘に加わったが、参戦時ボウヤーの姿は艦上に見えなかった。彼は戦闘開始直後に片脚を失っていた。 ハウとクイーン・シャーロットは艦隊を率先垂範し、フランスの旗艦モンターニュへと突進した。モンターニュと後続するヴァンジュール・ドゥ・プープル(英語版)の間を横切ると、クイーン・シャーロットはこの2隻を掃射し、さらに近接砲戦を挑むべくモンターニュへと進路を向けた。そしてクイーン・シャーロットは、モンターニュにしたのと同様に、フランス艦ジャコバン(英語版)をも交戦に巻き込み、短時間砲火を交わした。そして両艦ともに大きな損害を与えた。 クイーン・シャーロットの右方向にいるブランズウィックは、当初は参戦しようとあがいていた。旗艦の真後ろで苦心惨憺しており、艦長ジョン・ハーヴェイはその遅れについてハウから譴責を受けた。ハウの譴責信号に奮い立ったハーヴェイは一気に艦を前に押し出し、クイーン・シャーロットをもう少しで追い越すところだった。ブランズウィックが側についたため、一時的にクイーン・シャーロットからフランス艦隊の東にいる半数が一時的に見えなくなり、今度はクイーン・シャーロットがフランス艦隊の集中砲火を浴びて大きな損害を受けた。ハーヴェイはジャコバンに乗り込んでハウを直接支援しようとしたが、ジャコバンに追いつくほどブランズウィックは速くなかったため、敵艦アシル(英語版)とヴァンジュール・ドゥ・プープルの間を横切ろうとした。しかしブランズウィックの錨が、ヴァンジュールの艤装に絡んでこの戦略は失敗した。ブランズウィックの航海長は、ヴァンジュールを切り離すべきかハーヴェイに助言を求めたが、ハーヴェイは「いや、ヴァンジュールは我々が奪って我々のものにする」と答えた。2隻の艦はあまりに接近しており、ブランズウィックは砲門を開くことができず、蓋を閉じたままで発砲した。2隻はたかだか数フィート(60センチから90センチ)の距離を置いてお互いを撃ち合った。 この戦闘の後方で、中央部隊の他の艦はフランス戦列を攻撃した。トマス・プリングル(英語版)艦長のヴァリアントはフランス艦パトリオート(英語版)の近くを通過した。パトリオートは後退していた、乗組員が伝染病に苦しんでおり、戦闘に加わることができなかったのである。代わりにヴァリアントはアシルに向かい、すでにクイーン・シャーロットと、ブランズウィックの砲撃を受けていた同艦に大きな損害を与えて、敵艦に囲まれた前衛部隊の戦闘に加わるために前進した。ジョン・トーマス・ダックワース(英語版)艦長のオライオンとアラン・ガードナー提督座乗のクイーンは共に同じ敵艦を攻撃した。クイーンは最初の方の戦闘でマストに深刻な損害を受け、ジョン・ハット(英語版)艦長は致命傷を負っていた。両艦はフランス艦ノーサンバーランド(英語版)に襲いかかった。ノーサンバーランドはすぐにマストを失い、根元の部分だけになったマストで逃げようとしていた。クイーンは、オライオンのようにノーサンバーランドに接近するには速度が遅かったため、すぐに出くわしたジェマップ(英語版)と、互いに激しい砲火を交わした。
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