バス事故とプリメーラでの躍進
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/11 04:57 UTC 版)
「レクレアティーボ・ウェルバ」の記事における「バス事故とプリメーラでの躍進」の解説
2006年6月4日のCDヌマンシア戦に勝利し、リーグ戦2試合を残して3度目のプリメーラ昇格を決めた。その後の試合でも首位を守りぬき、マルセリーノ・ガルシア・トラル監督に導かれた2005-06シーズンはセグンダで初優勝を果たした。 2006年12月20日、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われるレアル・マドリード戦観戦のためウエルバを出発したレクレアティーボのサポーターバスが大型トラックと衝突し、運転手を含め4人が死亡する事故が起こった。クラブは試合の延期をスペインサッカー連盟 (RFEF) に要請したが、RFEFはこれを拒否し、試合は予定通り行われた。試合は3-0でレクアティーボが完勝。プリメーラ在籍年数がたった3シーズンのレクレアティーボが、一度たりともセグンダに降格したことのないレアル・マドリードを大差で下すという歴史的な結果に終わり、亡くなったファンの墓前に花を添えることとなった。トップリーグでの新シーズンは期待以上の成果を上げた。バレンシアCFにも2-0で勝利を収めるなど、2006-07シーズンはクラブ史上最高の勝ち点54を獲得して8位に躍進し、3度目の挑戦で初めてプリメーラ残留に成功した。フロラン・シナマ=ポンゴルはチームトップの12得点を挙げ、サンティ・カソルラはドン・バロン誌が選出するスペイン人最優秀選手賞を受賞した。2007年夏、マルセリーノ監督はレクレアティーボ監督を退任してラシン・サンタンデール監督に就任した。 人生のすべてのことには始まりと終わりがある。レクレでの私の時間の終わりの瞬間が今なのだ。 — 記者会見で、マルセリーノ監督 2007年6月にはクラブが元デンマーク代表のレジェンドであるミカエル・ラウドルップに監督オファーを出すという活発な憶測がなされ、ラウドルップの代理人によると交渉は進行していて「(就任に向けて)強くその気になっている」とのことであったが、ラウドルップはレクレアティーボのオファーを断ってヘタフェCF監督に就任した。2007-08シーズンは残留争いに巻き込まれるものの、最終節のレアル・バリャドリード戦に1-1で引き分けて残留を決めた。2008-09シーズンは開幕から6試合で勝ち点4しか奪えず、マノロ・サンブラーノ監督が解任される。引き継いだルーカス・アルカラス監督は25節時点で13位まで引き上げるも、その後の13試合は1勝1分11敗と決定力不足に悩み、20位でシーズンを終えて降格が決定した。 2009-10シーズンは14勝15分13敗の9位であったが、30試合で24失点に抑えたビセンテ・グアイタがセグンダのサモラ賞(最少失点率GK賞)を受賞した。2010-11シーズンは勝ちきれない試合が多く、序盤戦は最下位近くに低迷したが、緩やかに調子を上げて12位でシーズンを終えた。42試合で引き分けは20試合を数えた。2011-12シーズンは常に順位表の下半分に位置し、セグンダ降格後最低の17位に終わった。
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