ハツタケと文学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/17 05:26 UTC 版)
秋の季語の一つとして知られることからも、日本人とハツタケとの関わりが深いものであることが推察される。 初茸を 山浅く狩りて 戻りけり 高浜虚子 初茸の 無疵に出るや 袂から 一茶 初茸や まだ日数 へぬ 秋の露 芭蕉 初茸やひとつにゑくぼひとつづつ 雲津水国 初茸や 秋すさまじき 浅茅原 籾山梓月 初茸は われを待つことなく ほうけ 山口青邨 月光に濡れて 初茸 ひらきだす 野村東央留 初茸のさび声門に秋の風 柳樽七五・8 初茸を喰ふと娘の声が錆び 青錆に成る初茸の旅労(つか)レ 柳樽八三・75 近代文学の作品中でハツタケの名が現れた例として、宮沢賢治の作品のうち、「狼森と笊森、盗森」(前述)のほか、「二人の役人」の中で、「けれども虫がしんしん鳴き時々鳥が百匹も一かたまりになってざあと通るばかり、一向人も来ないやうでしたからだんだん私たちは恐くなくなってはんのきの下の萱をがさがさわけて初茸をさがしはじめました。」という描写 がある。 中里介山の筆になる長編小説大菩薩峠では、その「畜生谷の巻 二十五」および「椰子林の巻 六十五」においてハツタケの名が登場する。畜生谷の巻では「この附近の石占山(いしうらやま)というところは、文化文政の頃から茸の名所となってはいるが、そこで取れる茸は、松茸(まつたけ)、湿茸(しめじ)、小萩茸(おはぎたけ)、初茸(はつたけ)、老茸(おいたけ)、鼠茸(ねずみたけ)というようなものに限ったもので、そこから毒茸が出て、人を殺したという例(ためし)はまだ無い」と描写されている。いっぽう椰子林の巻には、「その翌朝、昨夜の侵入者と、この庵(いおり)の主(あるじ)なる若い老尼とは、お取膳で御飯を食べました。初茸(はつたけ)の四寸、鮭(さけ)のはらら子、生椎茸(なましいたけ)、茄子(なす)、胡麻味噌などを取りそろえて、老尼がお給仕に立つと(後略)・・・」との記述がなされている。 島崎藤村の千曲川のスケッチ(その五 山の温泉)においては、ハツタケについて「最早初茸を箱に入れて、木の葉のついた樺色(かばいろ)なやつや、緑青(ろくしょう)がかったやつなぞを近在の老婆達が売りに来る」と描写している。また、この作品の別の個所(その五 山中生活)でも、マツ林でのきのこ狩りの様子が描写される中で、ハツタケの名が登場している。また、立原道造が盛岡に着いて初めて出した実家宛ての私信には、「きのふ會ひました けさもまた初茸御飯を届けて来ました」の一節がある。 漫画では、つげ義春の「初茸がり」を挙げられる。詳細は当該項目を参照。
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