ナミビア独立以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 04:54 UTC 版)
「レホボス・バスター」の記事における「ナミビア独立以降」の解説
ナミビア独立直前の1989年7月29日に、バスターランドは解体された。 ナミビアの新しい与党で、国内におけるマジョリティであるオヴァンボ人を中心に構成された南西アフリカ人民機構(SWAPO)は、1990年に政権を掌握すると、バスターの土地を収用し、共同体として保持していた財産を没収した。更にバスターが住んでいた土地を分割する新たな選挙制度を導入した結果、バスターはそれまでの所有地に他民族が侵入し始め、生活基盤である牧畜業にも支障が出るなど、マイノリティであるが故に益々不利な状況に置かれるようになったなってしまった。多くのバスターは、SWAPOが国家を代表して事を認める一方で、オヴァンボランド(英語版)における自身らの政治的基盤への利益を、極端に誘導しすぎているのでは、と疑問を感じた。 部族長協議会は、新政府によって没収され、バスター以外に売却されたと主張するレホボスにおける土地に対する補償を求めた。協議会には当事者適格が与えられたが、1995年の高等裁判所における判決では、レホボスの土地は、レホボス・バスター社会によって、当時のナミビア政府に自発的に引き渡された、という判決を下した。 1998年に、ハンス・ディーアハールド(英語版)部族長は、国連の自由権規約人権委員会に対して、ナミビアにおけるバスターへの権利侵害を告発し、正式に苦情を申し立てた。2000年に同委員会は、ナミビア政府がアフリカーンス語の公用語から除外した事は、自由権規約第27条に違反する、バスターに対する言語差別であると認定した。 1999年に第6代部族長として選出されたジョン・マクナブは、嘗てバスターが所持していた土地を、政府が無断で国有地にしたうえに、二束三文で他民族に売却した事と、同胞の農民達が法外な額で買い戻す事を余儀なくされた事を、度々国内外に主張し続けている。 2006年に、サムクビスの日の祝典準備が進んでいた際、著名なソーシャルワーカーであるHettie Rose-Juniusは、組織委員会にナマ人の代表を祝祭へ招待する様打診したものの、委員長は先の反独闘争において、バスターとナマ人は共闘関係あった訳ではないとして、提案を拒否した。 2007年2月に、バスター協議会は代表なき国家民族機構(UNPO)に加入する事を表明した。2012年11月以降、UNPOはナミビア政府に対して、同国における他の民族と同様に、バスターに対する「伝統的権威」を認める様に勧告している。
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