ナイター球場建設構想とは? わかりやすく解説

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ナイター球場建設構想

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 04:44 UTC 版)

広島市民球場 (初代)」の記事における「ナイター球場建設構想」の解説

1952年、「広島市ナイター設備備えた球場作ろうと言い始めたのは、当時カープ金銭面からバックアップしていた東洋工業松田恒次社長だった。カープ石本秀一監督はその言葉有頂天となり、自ら球場設計取り組んだとされる。翌1953年になると、広島市民の間でも「ナイター球場待望論」が日ごと高まり中国新聞社へは読者からの投書相次いだこうした待望論が一気高まり見せたのは、当時カープを除く他球団本拠地ナイター設備次々導入したためである。その一方で当時水準から見て設備面で見劣りした広島総合球場ナイター設備などあるはずもなく、カープ主催週末試合は、日曜日昼間に必ずと言ってよいほどダブルヘッダー組み込まれており、炎天下での連戦強いられた選手達の疲労並大抵なものではなかった。また広島総合球場は、当時交通の便が悪い上にスタンドキャパシティ小さく、さらに炎天下での観戦強いられるとあっては、観客増による増収球団経営安定図ろうにも限度があった。 1954年広島市浜井信三市長広島市議会議長が、東京開かれた広島市建設促進協議会」の席上にてナイター球場話題で花を咲かせたことがきっかけとなり、同年3月広島市議会に「市営野球場設置対策委員会」が設置された。さらに8月には、同委員会広島県地元経済界カープ球団加わった市営市民球場建設促進委員会」へと発展し、そして10月には「広島市基町市税使わず市営ナイター球場建設する」という結論導き出された。 だが、ナイター球場建設予定地とされた基町には、通称「十軒長屋」と呼ばれた市営住宅多数存在し住人達は「自らの住む住宅潰してまでナイター球場作るのは不当だ」と激しく反発連日渡って市役所前計画再考求めて抗議運動が行われる事態になった。その一方でカープ後援会側は、「何故早く建設しないのか」と浜井市長再三渡って詰め寄り55,000人の署名簿を広島市提出するなど、利害関係入り乱れナイター球場建設先行きは全く不透明な情勢になった

※この「ナイター球場建設構想」の解説は、「広島市民球場 (初代)」の解説の一部です。
「ナイター球場建設構想」を含む「広島市民球場 (初代)」の記事については、「広島市民球場 (初代)」の概要を参照ください。

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