トリニティ・カレッジ入学
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 01:51 UTC 版)
「アイザック・ニュートン」の記事における「トリニティ・カレッジ入学」の解説
1661年に叔父であるウィリアム・アスキューが学んでいたトリニティ・カレッジに入学した。入学当初は「サブサイザー(sub-sizar)」として仮に受け入れられ、1か月後に「サイザー(sizar)」として正式に受け入れられた。これは講師の小間使いとして食事を運んだり使い走りをする代わりに、授業料や食費を免除されるという身分であった。大多数の学生は「コモナー(commoner)」という自費で学費を払う者たちで、自分がサイザーという身分であったことや、自分の家柄のこともあり、同級生と打ち解けなかったという。 当時、大学での講義のカリキュラム編成は、スコラ哲学に基づいて行われており、つまり主としてアリストテレスの学説に基づいていたが、ニュートンは当時としては比較的新しい数学書・自然哲学書のほうを好んだ。たとえば、数学分野では、エウクレイデスの『原論』、デカルトの『幾何学(en:La Géométrie)』ラテン語版第2版、ウィリアム・オートレッドの『数学の鍵(Clavis Mathematicae)』、ジョン・ウォリスの『無限算術(The Arithmetic of Infinitesimals)』などであり、自然哲学分野ではケプラーの『屈折光学(Dioptrice)』、ウォルター・チャールトン(英語版)の原子論哲学の入門書などを読んだのである。 ここでニュートンは、良き師であるアイザック・バローにめぐり会う。ケンブリッジにおいて1663年に開設されたルーカス数学講座の初代教授に就任したバローは、ニュートンの才能を高く評価し、多大な庇護を与えた。バローは時間、空間の絶対性を重要視するプラトニズムを奉じた数学者であり、ニュートンの思想にも大きな影響を与えた。バローのおかげもあり、1664年にニュートンは「スカラー」(=奨学金が支給される学生)にしてもらうことができ、翌年には学位を授与されることになる。バローとの出会いによってニュートンの才能は開花し、1665年に万有引力、二項級数、対数の無限級数の発見を経て、さらに微分および微分積分学へと発展することになった。
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