テル・メギドとは? わかりやすく解説

テル・メギド

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/10/19 08:14 UTC 版)

聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバ」の記事における「テル・メギド」の解説

詳細は「メギド」を参照 テル・メギド (Tel Meggido, ID1108-001) は、イズレエルの谷にある遺跡で、世界遺産の登録範囲は 16.05 ha緩衝地域は 290.85 ha である。登録範囲1966年設定されメギド古代遺跡国立公園 (Megiddo Antiquities National Park) に含まれている。 旧約聖書でのメギドへの言及は、全部11箇所にのぼる。たとえば『ヨシュア記』では、ヨシュアカナン征服の際にメギド勢力圏におさめ、マナセ族領地のひとつにしたが、占領できなかったとある。『士師記』でもマナセ族占領しなかった土地ひとつとして言及されている。『士師記』ではその他にいわゆるデボラの歌」の一節で、イスラエル軍勢カナン軍勢戦った場所として、メギド言及がある。また、歴代誌下』では、南ユダ王国ヨシヤ王がエジプトファラオであるネコ敗れて戦死した場所として登場するメギドの戦い (紀元前609年))。 メギド交通の要衝にあり、軍事上の要地でもあったことから、古戦場として知られていた。新約聖書の『ヨハネの黙示録』に登場するハルマゲドンメギドの丘)は、そのような背景から、終末論的な決戦の場として選ばれたとも言われている。 テル・メギドの発掘調査1903年から1905年1925年から1939年1960年代から1970年代にかけてなど、何度も行われており、最もよく発掘されテルという評価もある。その結果主要な層が20層あり、約30都市遺跡積み重なっていることが明らかになっている。1920年代から30年代にかけての発掘シカゴ大学調査チームよるものだったが、そのとき出てきた遺構には、中が列柱のような仕切り壁で区切られ細長い部屋連続する構造物含まれており、調査チームソロモン王厩舎推測した。彼らの推測根拠になったのは『列王記上』の記述で、ソロモン王建設した都市メギド含まれていることと、(それとの関連性明示されていないが)戦車隊騎兵隊の町を築いたとされていることによる。のちに、イガエル・ヤディン調査ではアハブ時代厩舎位置づけなおされたが、馬に関する具体的な出土品まったくない上に、他の遺丘類似構造物では土器多く発見されていて倉庫であった可能性うかがわせることなどから、厩舎とする見解疑問視する者もいる。他の遺丘類似構造物含め、それらの「列柱建物」の正確な用途は、今のところ不明のままである最古のものは紀元前4千年紀さかのぼ新石器時代のもので、土器住居跡出土している。青銅器時代には、地震海の民による破壊などを経て何度も再建されたあとが見受けられる鉄器時代遺構では、都市供給していた地下水収集する水利システムが高度に発達していたことも明らかになっている。 2005年には、世界最古キリスト教聖堂の跡 (Megiddo church) が発見された。

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