チェコ潜入後の具体的な作戦検討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/09 00:48 UTC 版)
「エンスラポイド作戦」の記事における「チェコ潜入後の具体的な作戦検討」の解説
アンソロポイドの二人は、ハイドリヒの情報を収集しながら具体的な実行計画を幾つか検討していた。しばしば行われるベルリン訪問の列車搭乗時に、プラハ北のロイヤルパーク駅付近における対戦車ライフルでの狙撃、更に北方のリベレツ(Liberec)方面での線路または列車の爆破、等の計画素案はいずれも実行が見送られ彼らは別の確実な襲撃計画を模索した。ハイドリヒはプラハ郊外北方15マイルのパネンスケー・プジェジャニ村(Panenské Břežany)に家族と共に住んでいた。毎朝、専用車(Mercedes 320:運転手クライン)がハイドリヒの家まで迎えに行き、彼をプラハまで送り届けていた。朝9時頃自宅を出発後、村の郊外で護衛車両と合流して45分の移動時間だった。ハイドリヒの住居およびプラハでの執務場所は厳重に警備されていたが、毎朝の移動時はハイドリヒは専用車の前席に座りオープンカーにしており、襲撃計画の立案が出来そうだった。移動経路内の開けた田園地帯で直線道路に金属ワイヤーを張り車を停車させた上で銃撃するプランは、実行後の護衛車両の追跡から逃れることが不可能だと考えられた。クビシュとガブチークは、ハイドリヒの移動ルート調査をしている中でプラハ北部郊外のホレショヴィチェ地区(Holesovice)を襲撃候補地点として見つけることができた。そこはキルヒマイヤー通り(独名:Kirchmayerstrasse. 現在はRudearmedy)からクライン・ホレショヴィッツァー通り(独名:Klein Holeschowitzerstrasse. 現在はV. Holesovickach)へ右折する地点で、道路は広く2本のトラム(市内電車)路線が中央を走っているが、下り坂でヘアピン状の右折カーブ地点で車は時速10〜12マイル程度まで減速する必要があり、近くにトラムの停留所があることは曲がり角近くで襲撃待機していても怪しまれる可能性は低いと考えられた。またドイツがプラハを占領した際に車両交通を左側走行から右側走行に変更した事で、車両が右折する際には内側の歩道側近くを走行する場所となっており、ここを理想的な襲撃地点として二人は詳細な計画立案をすすめた。
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