計画の立案
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 04:01 UTC 版)
9月中旬までに、アルデンヌの森を通って攻撃を行うことが決定された。計画としては、連合軍の防衛線に猛烈な準備砲撃を浴びせたのち、選抜された部隊が12か所で連合軍の防衛線を突破、その突破口から戦車や装甲擲弾兵が西方のミューズ川に向けて突進し、連合軍が防御を固める前にミューズ川の橋梁を確保して渡河することを作戦の第1段階とし、その後にアントワープとブリュッセルに進撃して、ヨーロッパ戦線の連合軍を分断しようというのが作戦の第2段階とされた。第1段階のミューズ川への迅速な進撃を実現するためには、一刻も早く交通の要衝を確保して、ドイツ軍の補給路を確保しつつ、連合軍の増援部隊を阻止する必要があった。アルデンヌで道路が集中する交通の要衝はマルメディ、サン・ヴィット、ウーファリズ(英語版)、バストーニュの4か所であったが、この全部を攻勢2日目までに確保することが求められていた。この中でバストーニュが最も遠方にあったが、東西の道路の中心部であり最重要攻略目標となった。作戦計画では「いかなる犠牲をはらっても」攻勢2日目までには必ず確保し、どんな反撃に対しても絶対に固守しなければならないとされていた。 作戦は連合軍諜報部にラインラントの防御作戦と誤認させるため「ラインの守り(Wacht am Rhein)」 と名付けられた。これはドイツの歌から取られた名称でもあったが、作戦開始直前に「秋霧作戦(Unternehmen Herbstnebel)」という正式名称に改められた。
※この「計画の立案」の解説は、「バルジの戦い」の解説の一部です。
「計画の立案」を含む「バルジの戦い」の記事については、「バルジの戦い」の概要を参照ください。
- 計画の立案のページへのリンク