ソ連での活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 14:33 UTC 版)
「ヴィルヘルム・ピーク」の記事における「ソ連での活動」の解説
ピークはアドルフ・ヒトラーの政権獲得への反対と、ヨシフ・スターリンとの連携を行った。1933年のナチスの政権獲得と権力集中、共産党の非合法化により、ピークは1934年5月にフランスに亡命し、1935年にブリュッセルで開かれた党会議では獄中にあるエルンスト・テールマン議長に代わる議長代行に選出されモスクワに移った。モスクワでは彼はソ連共産党に様々な形で協力した。スターリンによる大粛清の時はソ連に亡命したドイツの共産主義者も多くが犠牲となったが、ピークはヴァルター・ウルブリヒトらのスターリンに忠実なグループに属してこれを免れた。1938年から1943年まではコミンテルンの総書記(General Secretary)となった。またピークは、ドイツの意図と将来の戦争への道に関してスターリンに助言する重要な役割を果たした。 1941年、ピークはウルブリヒトとともにスターリンと会い、ヒトラーについて徹底的に分析して警告を発し、赤軍を西へ進軍させるスターリンの希望について議論している。会合の指揮やその記録など、ピークの果たした役割はその50年後に記録が公開されるまで不明であった。1943年、ピークはナチスに抵抗するソ連主導のドイツ人抵抗組織、自由ドイツ国民委員会(Nationalkomitee Freies Deutschland、NKFD)の創設者のひとりとなった。NKFDは第二次世界大戦後のドイツの社会主義化という将来も視野に入れていた。1945年の終戦後、ピークは赤軍とともにドイツに入りドイツ共産党を再建し、ソ連をモデルにしたプロレタリアート独裁や共産主義体制を導入するため、ソ連占領地域の社会民主党と共産党を半強制的に併合させて元SPDのオットー・グローテヴォールと共にドイツ社会主義統一党を誕生させ共同議長のなった。
※この「ソ連での活動」の解説は、「ヴィルヘルム・ピーク」の解説の一部です。
「ソ連での活動」を含む「ヴィルヘルム・ピーク」の記事については、「ヴィルヘルム・ピーク」の概要を参照ください。
- ソ連での活動のページへのリンク