ソ連での創案と第二次大戦での実践
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 02:56 UTC 版)
「作戦術」の記事における「ソ連での創案と第二次大戦での実践」の解説
近代的な作戦術の発明者とされるのが、ソビエト連邦のアレクサンドル・スヴェチンである。スヴェチンは全ロシア参謀総長の職を退いたのちフルンゼ軍事大学(英語版、ロシア語版)の教授に任じられており、1927年に上梓した『戦略』(Стратегия)において、「戦略」と「戦術」の重複した領域に初めて「作戦術」(оперативное искусство)という用語を使用して、新しい枠組みを提言した。これは、第一次世界大戦やポーランド・ソビエト戦争での戦訓を通じて戦域の広域化・大縦深化が認識され、これを突破するためには、野戦軍のような大単位部隊を複数個投入して数次に渡る作戦を連続的に展開していくことが必要であると考えられたものであった。 スヴェチンは、そのような連続作戦能力を維持するためには機械化部隊、特に戦車部隊による縦深突破力・攻撃衝撃力の持続が必至であるとした。1929年、参謀総長代理であったヴラジーミル・トリアンダフィーロフは、この理論を踏まえて戦車と飛行機の集団的用法を案出し、方面軍レベルの作戦において、敵の全縦深を空中と地上から同時に制圧することを企図した。 この理論は、その後、ミハイル・トゥハチェフスキーやゲオルギー・ジューコフによって更に発展・具体化し、縦深戦略理論へと結実していった。第二次世界大戦では、奇襲効果と指揮の優越によって決勝点における戦術的優位を得ようとするドイツ軍に対して、赤軍は敵戦力を縦深に吸収して消尽させたうえで防勢から攻勢に転移することを基本としたが、このように攻防の作戦を連結させ、作戦期間を通じた戦略的縦深性を保持させていたのが作戦術であった。
※この「ソ連での創案と第二次大戦での実践」の解説は、「作戦術」の解説の一部です。
「ソ連での創案と第二次大戦での実践」を含む「作戦術」の記事については、「作戦術」の概要を参照ください。
- ソ連での創案と第二次大戦での実践のページへのリンク