ソ連での流行歌
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 05:52 UTC 版)
日本の一部ではロシアの歌は物悲しいというイメージが持たれているが、これはソ連の流行歌のうち短調のものばかりを日本に持ち込んだというのがその実であり、ソ連の流行歌が短調ばかりであったわけではない。とはいえ、ソ連ではあまりに明るすぎる印象を与える歌は発禁となり、歌手も仕事を失う危険性があったことは事実であった。そのため、曲想は短調にした方が無難であった。こうした状況は1960年代後半には変わってきたが、日本人の好みに合わなかったのか日本へはあまり流入しなかった。 第二次世界大戦前後の戦乱期には、帝政末期から流行した歌の他にタンゴなどの流行も見られた。有名な「カチューシャの歌」は戦前の作であったが、戦時中に「恋人の兵士を待ちわびる乙女の歌」として大流行した。戦時中には多くの流行歌が存在したが、そうした歌の多くは世相を映して悲しいものや逆に勇ましいものがあった(「カチューシャ」にも「英雄的な女兵士」バージョンや「献身的な看護婦」バージョンが存在する)。 アフガニスタン侵攻など戦争の絶えなかった世相を反映し、ソ連ではこうした比較的古い戦時中の流行歌は親しみを持ち続けられた。ソビエト連邦の崩壊後もチェチェン紛争を抱えるロシア連邦を中心に古い流行歌は一定の流行を続け、また、当然ながら戦争とは関係のない無数の流行歌をも含め、現代でも「ともしび」や「カチューシャ」のような「ロシア民謡」は歌われている。 それらいわゆる「ロシア民謡」は、古くはフョードル・シャリアピンや、ボリス・クリストフ、現在ではディミトリー・ホロストフスキー等有名なオペラ歌手・声楽家や、ブラート・オクジャワやヴラジーミル・ヴィソツキー、アーラ・プガチョワなどの歌手、旧西側諸国にも多くファンを持つロシア連邦軍(旧ソ連軍)所属の赤軍合唱団(アレクサンドロフ・アンサンブル、赤星赤軍合唱団、内務省軍アンサンブル等)等々、多くの歌い手により歌唱されている。
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