ジョンストンの作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/09/13 09:16 UTC 版)
「セブンパインズの戦い」の記事における「ジョンストンの作戦」の解説
バージニア半島から後退しリッチモンド郊外まで戻ってきたジョンストンは、大軍による包囲戦に耐えられることが分かり、マクレラン軍を攻撃することにした。当初の作戦は、北軍マクドウェル軍団がフレデリックスバーグから南進して到着する前に、チカホミニー川北岸の北軍の右側面を攻撃することだった。しかし、リッチモンドの北東で行われたハノーバーコートハウスの戦いと同じ日の5月27日、マクドウェルの軍団がシェナンドー渓谷方面に割かれてポトマック軍を支援できないことを知った。ジョンストンは、その天然の防御戦であるチカホミニー川を越えて攻撃することを止め、北軍が川に跨っている状態を利用し、川の北にいる3個軍団からは孤立した形にある南岸の2個軍団を攻撃する作戦にした。 うまく行けば、ジョンストンはその軍隊の3分の2(29ある歩兵旅団のうちの22、約51,000名)を北軍の第3および第4軍団33,000名に対抗させることになる。南軍の攻撃作戦は複雑であり、A・P・ヒルとマグルーダーの師団には川の北岸にいる北軍に軽く当たって引き付けておき、一方ロングストリートが主力軍を率いて南岸を攻撃し、キーズ軍団を3方から攻撃するものだった。ロングストリートの直接指揮下にある6個旅団とD・H・ヒルの4個旅団はセブンパインズ(7本の大きな松の木が集まっていた)と呼ばれる交差点で別々の道を進み、フーガーの3個旅団はヒルの右翼を支援するように割り当てられ、ホワイティングの師団はロングストリートの予備隊として後を追うものとされた。この作戦は、北軍第4軍団の師団が他よりも遥かに突出してセブンパインズの西1マイル (1.6 km)の土盛り工作物に陣取っており、そこのサイラス・ケーシー准将6,000名の部隊はキーズ軍団の中でも最も経験の浅い部隊だったので、初期の成功の可能性が非常に高かった。キーズ軍団を倒せば、東の第3軍団はチカホミニー川を背にして釘付けになり、圧倒してしまえる可能性があった。 この複雑な作戦は最初からうまく行かなかった。ジョンストンはロングストリートに5月30日の長くまとまりの無い会議で口頭で命令を伝えることを選んでいた。他の将軍達は書いた命令を受け取ったが、曖昧で矛盾を含んでいた。また、ロングストリートが川の南岸で戦術的指揮を執ることを師団指揮官達全てに伝えていなかった(フーガーやスミスは事実上ロングストリートより上官だったので、この詳細が無かったことは重大な見過ごしになった)。ロングストリートの側では、受けた命令を誤解したか、ジョンストンに報せることなくそれを修正することを選んだかだった。ロングストリート隊は割り当てられたナインミル道路を進まずに、ウィリアムズバーグ道路でヒル隊に合流し、そのことが前進を遅らせただけでなく、前線を狭くして全軍の一部しか攻撃に参加できなかった。両軍の問題を悪化させたのは5月30日夜の雷を伴う激しい嵐であり、それが川を溢れさせて北軍の橋の大半を破壊し、道は泥沼状態に変わっていた。
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