ジャンプ台の歴史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/04 17:14 UTC 版)
「ブロウトコヴァ・ヴェリカンカ」の記事における「ジャンプ台の歴史」の解説
1934年、スタンコ・ブロウデクによってK点85mの台が建設され、その名が冠された。1945年に改修が行われ、2001年、老朽化のため閉鎖された。 完成時は世界最大のジャンプ台であり、1936年3月5日、史上初めて100mを超えるジャンプ(101m)がヨーゼフ・ブラドルによって記録された。その後も1950年に西ドイツ、オーベルストドルフのフライングで新記録が出るまではこの台の記録が世界記録であった。1998年3月22日のスキージャンプ・ワールドカップで日本の葛西紀明が147.5mのバッケンレコードを記録。 2001年に閉鎖されていた競技場を2011年に取り壊し、同じく取り壊されたノルマルナ・ブロウトコヴァ・スカカウニツァの機能を合わせて2012年新たにラージヒル・ノーマルヒル併設の競技場として再オープンした。
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ジャンプ台の歴史
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「レタウニツァ・ブラトウ・ゴリシェク」の記事における「ジャンプ台の歴史」の解説
プラニツァで最初のジャンプ台は1930年、ポンツァ山の斜面に建設された。1934年、スタンコ・ブロウデクが巨大なジャンプ台(ブロウトコヴァ・ヴェリカンカ)を建設、ここで1936年3月5日、史上初めて100 mを超えるジャンプがヨーゼフ・ブラドルによって記録された。 1969年、この隣にブラドとヤネスのゴリシェク兄弟の設計によるK点185 mの新しいジャンプ台が完成し、兄弟の名が冠された。年々飛距離が伸び、1985年にマッチ・ニッカネンが191 mを飛んで以降はここでの記録が世界記録であり続けた。 1994年の改修ではカンテを10m後方に下げてランディングバーンの最初の部分を延長する工事が行われた。これにより従前最大15mに達して危険だった高い飛行曲線の軽減に成功した。 2005年にはビヨーン・アイナール・ローモーレンが239 mを飛んで世界記録としたが、2011年2月、ノルウェーに完成した世界最大、HS 225 mのヴィケルスンのフライングヒルでヨハン・レメン・エベンセンが246.5 mを記録してこれが世界記録となった。 2015年3月20日にHS 225 mの新生ジャンプ台のこけら落としとして行われたワールドカップ第34戦でペテル・プレヴツが248.5 mを記録。 2019年3月24日、2018/19ワールドカップ第28戦(シーズン最終戦)に於いて、小林陵侑(日本/土屋ホーム)が1本目に252mを記録してバッケンレコードを更新した。 かつては200m、現在ではヒルサイズを超えるジャンプが出ると、1979年にスキーフライング世界選手権がここで開催された際に公式テーマソングとして作られた、アンサンベル・ブラトウ・アヴセニクの「プラニツァ・プラニツァ」が場内に流れるのが名物の一つとなっている。
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