シュウシンとは? わかりやすく解説

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しゅう‐しん〔シウ‐〕【修身】

読み方:しゅうしん

身を正しくおさめて立派な行いをするように努めること。

旧制小・中学校などの教科の一。教育勅語よりどころとする道徳教育授けたもの。

「修身」に似た言葉

しゅう‐しん〔シフ‐〕【執心】

読み方:しゅうしん

[名](スル)

ある物事心を引かれて、それにこだわること。また、その心。執着。「金に—する」

多く御執心」の形で)異性などに深く思いをかけることをひやかしの意をこめていう語。「ひどく彼女に御—だ」


しゅう‐しん〔シウ‐〕【就寝】

読み方:しゅうしん

[名](スル)眠りにつくこと。寝ること。「毎晩一〇時には—する」


しゅう‐しん【終審】

読み方:しゅうしん

審級制度における最終審理また、その裁判所三審制のもとでは第三審


しゅう‐しん【終身】

読み方:しゅうしん

命を終えるまでの間。生涯一生終生。「—独身を通す」


しゅう‐しん【衆心】

読み方:しゅうしん

多く人々の心。

「—一人(いちにん)を逐(お)うて移るという状(かたち)で」〈紅葉二人女房


修身

読み方:シュウシン(shuushin)

天皇制イデオロギー浸透の中心的手段とされた教育方法

別名 修身教育(しゅうしんきょういく)


周慎Zhou Shen

シュウシン
シウシン

(?~?)
漢盪寇将軍予州刺史

漢陽(あるいは武威)の人《後漢書董卓伝》。周珌の父《後漢書献帝紀》。

後漢書献帝紀』に引用する東観漢記』に「周珌予州刺史周慎の子」とある。ここでは予州刺史と盪寇将軍同人解した本郡については周珌の解を参照のこと。

中平元年一八四)冬、北地郡の先羌が北宮伯玉李文侯らとともに反乱起こし、護羌校尉伶徴・金城太守陳懿らを殺し辺章韓遂頭目仰いだ。翌二年春、彼らは宦官誅殺するのだと言いながら三輔地方侵入してきた《後漢書董卓伝》。盪寇将軍であった周慎は、車騎将軍張温のもとで破将軍董卓とともに韓遂らを討伐することになった後漢書董卓伝》。

十一月流星驚いた賊徒金城郡楡中の城に逃げ込んだので、張温は三万人率いて城を包囲するよう周慎に命じたそのとき張温参軍事として周慎に従軍していた孫堅が「賊の城内には軍糧がありませんか城外から搬入しているはずです。孫堅軍勢一万お預かりして糧道絶ちますので、将軍大軍率いて後詰めなさってくだされ」と進めたが、周慎は聞き入れなかった《後漢書董卓伝》。

周慎が楡中城を包囲して外壁破壊しそうした戦況張温報告していたところ、はたして韓遂辺章軍勢分けて狭に進駐させ、逆に周慎の糧道杜絶してしまった。周慎は恐怖抱き輜重車打ち捨てて撤退した。こうして張温軍勢敗退してしまったのである《破伝・後漢書董卓伝》。

参照韓遂 / 周珌 / 孫堅 / 張温 / 陳懿 / 董卓 / 辺章 / 北宮伯玉 / 李文侯 / 伶徴 / 漢陽郡 / 園狭 / 金城郡 / 三輔 / 武威郡 / 北地郡 / 楡中県 / 予州 / 護羌校尉 / 参軍事 / 刺史 / 車騎将軍 / 太守 / 盪寇将軍 / 破将軍 / 宦官 / 先羌 / 流星


シュウシン

名前 Siew Sin


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