輜重車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/12 09:57 UTC 版)
帝国陸軍の輜重具は日中戦争期に至るまで馬匹による運搬が主力であった。輜重車が本格運用されたのは日清戦争終了後であった。日露戦争中には輜重車が投入され、輸送を担った。 帝国陸軍においては明治6年3月に輜重兵の編成が開始された。創設当初、フランス軍士官の提案により四馬曳輜重車が採用されたものの、大型過ぎて日本の道路事情には適していなかった。明治10年の西南戦争においては役夫を民間から組織したが、逃走のおそれがあり、また経費負担が大きかった。これは当時の日本人には階級意識が残っており、士分以外の者が戦争に関わることを嫌ったためである。明治12年に民間用の手車を参考とし、実用的な輜重車である徒歩車を開発した。自重は71kg、最大積載量は112kgであり、1名ないし2名の人力で牽引された。この荷車は明治14年2月に輜重輸送車として制式化され、明治19年1月に廃止された。代替として明治19年に有坂車が採用された。これは馬車一頭により牽引する一馬曳二輪車である。明治27年には二輪輜重車が採用された。1903年(明治36年)には三六式輜重車が正式採用された。また三六式四輪輜重車、三八式二輪輜重車などが開発された。1906年(明治39年)には三九式輜重車が制式化され、この一馬曳二輪車が日中戦争期まで使用された。さらに、十年式二馬曳輜重車、十年式四馬曳輜重車が順次開発使用された。1930年(昭和5年)には九〇式二馬曳輜重車が制式化されたが、戦時騎兵旅団専属にとどまった他、九六式輜重車が開発された。しかし、あくまで主力は敗戦まで三九式輜重車であった。
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