システムの理念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 21:23 UTC 版)
「オリンパスOMシステム」の記事における「システムの理念」の解説
カメラのボディを部品の一つとして考え、他の豊富なアクセサリー品により巨大なシステムを構成するという理念は1971年に発売されたキヤノン F-1が代表的な例であるが、オリンパスにもすでにハーフ判一眼レフカメラのオリンパス・ペンFのシステムが存在した。このように当時の国内カメラメーカーは大なり小なりある程度のシステムを保有しており、OMシステムはこのような時代背景の下、さらに自社のペンFを凌駕する前提で開発された産物といえる。 他社のシステムとの最大の相違点は、カメラボディすらシステムを構成する一要素としている点である。 他社のシステムにおいてはカメラボディが主たる存在で、モータードライブやデータパック、ファインダースクリーンなどは各ボディごとの専用品が用意されていたが、OMシステムでは一部の例外(代表例:OM10にモータードライブが使用できない)を除くとシステム内のアクセサリーの互換性が最大限確保されていた。 また、前述のように「宇宙からバクテリアまで」の理念に沿ってオリンパス自社製の内視鏡や顕微鏡、さらに各社天体望遠鏡に対応したOMマウントアダプターがそれぞれ用意された。 このような大掛かりなシステムは開発に大変な予算と手間が掛かり、モデルチェンジも制約されるため長く維持するのは難しいが、カメラの可能性を極限まで追求した結果であり、またユーザーに発展性という夢を与えたのもまた事実であった。 しかし1980年代半ばからのオートフォーカスカメラの台頭や高倍率ズームレンズの登場により一眼レフカメラのコンパクト化、つまり機能の統合化が行われてシステムカメラとしての意義は次第に薄らぎ、当然のごとくシステムは縮小されていった。また、OMシステムにおける初のボディ内モーター使用オートフォーカス機であるOM707が、その互換性の低さや操作性の悪さから市場に受け入れられなかった事が絶対的敗北となり、AFの後継機種は登場しなかった。このため一眼レフカメラがMFからAFへ急速に移行している中、OMシステムはMFに限定されたシステムにとどまることになった。 2003年、OMシステムは約30年に渡る生産及び販売を終了。実質上の後継機として新規格のフォーサーズシステムを採用したデジタル一眼レフ・E-システムシリーズが同年に発売されたことで、結果的にAFシステム移行の失敗が他社に先駆ける形での「フィルムカメラからの撤退」を促す事になった。2012年には、OMシステムの名称・デザインを踏襲したマイクロフォーサーズ規格のミラーレス一眼カメラ、OM-D E-M5が発表されたが、当OMシリーズとの互換性はレンズマウントアダプターのみが保っている。 OM-Dシリーズはその後、フォーサーズシステムの従来型一眼レフをも統合し、フラッグシップ機OM-D E-M1、普及機OM-D E-M10も発売しており、大衆向けであるPENシリーズに対し、OM-Dシリーズはカメラマンなど、一眼レフユーザーをターゲットにしている。
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