シェスキイ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 04:09 UTC 版)
シェスキイはシェシューンを父とする持込馬で、日本で走り、中距離の競走を中心に活躍して1968年の最良スプリンターに選ばれた。 シェスキイ 血統 ハリーオン系 性 牡馬 Sheshoon1956年 栗毛 アイルランド Precipitation Hurry On 毛色 栃栗毛 Double Life 生年 1963 Noorani Nearco 生産地 千葉県 Empire Glory 生産者 ヤシマ牧場 *インズキー1955年 栗毛 イギリス *キングスベンチ Court Martial 馬主 小林庄平 King's Cross 調教師 大久保房松 Hunter's Quay Mustang 成績等 31戦15勝 Dunure F-No.4-d 2〜6歳時31戦15勝 主な勝鞍 最良スプリンター。クモハタ記念2回、中山記念、毎日王冠、安田記念 シェスキイの母インズキーはアイルランドの5ハロンのレースで3勝をあげた競走馬である。祖母のハンターズキーはアイルランド1000ギニーで3着の実績があるほか、その兄弟にはアイルランドダービー優勝馬のダークウォリヤー(Dark Warrior)やアングルシーステークスの勝馬ソーチリー(Sauchrie)がいる。シェスキイはインズキーが日本に輸入された時に身ごもっていたシェシューンの仔で、千葉県で生まれて競走馬になった。なお、シェスキイはハリーオンの3×5のインブリードを持っている。シェスキイの半弟、シェスタイムも重賞勝馬になり、北海道で道営記念などに勝ち、種牡馬となっている。 シェスキイはハリーオン系らしく成長が遅く、3歳での3月にデビューした。デビュー戦を含めて5月までに4戦して3勝2着1回の成績でダービーに出ると、重賞出走経験すらなかったが28頭中5番人気になった。シェスキイは先行したが、直線に入ってからはいいところなく11着に敗れた。勝ったテイトオーは条件戦を勝ち上がるのに9戦を要してきた12番人気の穴馬で、2着にも18番人気のソロモンが入って大荒れになった。シェスキイは秋も菊花賞を5番人気で出走したが10着に敗れた。 その後、12月のクモハタ記念(1800メートル)でシェスキイは3馬身離してレコード勝ちをした。シェスキイは翌1967年にもクモハタ記念を勝って連覇を達成した。しかし、有馬記念や天皇賞といった長距離戦では大敗した。 5歳になった1968年には春に中山記念を含めて4連勝し、2500メートルの日本経済賞でも2着になった。さらにハンデ戦の安田記念では60キロを背負って本命で勝ち、秋には毎日王冠も60キロで勝った。この年、シェスキイは1600メートルから2000メートルの競走で7勝、うち重賞3勝の成績で最良スプリンターに選出された。このあと有馬記念では大敗したが、引退レースとなった1969年の正月の七草ステークスでは、61キロを背負って4キロ軽いタケシバオーを破った。これがタケシバオーの日本国内での最後の敗戦となり、タケシバオーはその後8連勝してアメリカへ渡った。 シェスキイは種牡馬になったが、最良の成績をあげた産駒はムサシシェスキー(北関東ダービー2着)にとどまった。 なお、インズキーの牝系子孫には、2014年のジャパンダートダービー優勝馬のカゼノコがいる。
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