サラヴァ!とは? わかりやすく解説

サラヴァ!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/09 06:59 UTC 版)

『サラヴァ!(Saravah!)』
高橋ユキヒロスタジオ・アルバム
リリース
録音 芝浦アルファAスタジオ[1]
ジャンル ポップ・ミュージック
時間
レーベル キングレコード/SEVEN SEAS
プロデュース 高橋ユキヒロ・坂本龍一
高橋ユキヒロ アルバム 年表
- サラヴァ!
1978年
音楽殺人
1980年
『サラヴァ!』収録のシングル
  1. 「C'EST SI BON」
    リリース: 1978年6月21日
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サラヴァ!』(Saravah!)は、1978年6月21日にキングレコード/SEVEN SEASから発表された高橋ユキヒロの1枚目のソロ・スタジオ・アルバム

解説

本作は、高橋幸宏がキングレコードのディレクターの安藤から「ソロ・アルバムを作らないか」と声を掛けられ[1]サディスティックスの活動中に生まれたソロ・アルバムで、1978年の2月にレコーディングされた[1]ヨーロッパ志向の強い作品[1]

後の高橋幸宏のニュー・ウェイヴへの傾倒、初期イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)のフレンチ志向の起点ともなる作品となっている。

アルバム・タイトルはピエール・バルーレーベル名(サラヴァ・レーベル)が由来である。

参加ミュージシャンは、本作の発売後に高橋幸宏も参加してレコード・デビューするYMOの細野晴臣坂本龍一をはじめ、サディスティック・ミカ・バンド加藤和彦高中正義今井裕の他、山下達郎吉田美奈子鈴木茂など多数参加している。

中でも坂本龍一は高橋幸宏と共に全曲の編曲と共同プロデュースに携わり[2]、キーボードは全て手弾きの上、ダビングが施されている。

リメイク作品

ソロ活動と本作発売40周年を迎えた2018年、当時のマルチトラックの演奏パートを使用し[1]、高橋幸宏のボーカル・パートを全編新録の上でミキシングを行った[1]、『Saravah Saravah!』が10月24日に発売された[2]。高橋幸宏は「今回録り直すことができて、やっと完成した感覚です」とインタビューに答えている[1]

リリース変遷

  • 1978年6月5日、LPレコードとカセットテープの2形態で発売された。
  • 2005年3月24日、当時の高橋幸宏の最新インタビュー封入と、ミキシング・エンジニアの小池光夫が行ったデジタルリマスター音源にてCDが発売された[3]
  • 2009年3月25日、上記2005年盤音源を使用してSHM-CDが発売された[4]
  • 2018年11月21日、発売40周年を記念してオリジナル・マスター・テープから小池光夫が最新デジタルリマスターを行った音源のUHQCD[5]と、180g重量盤のLPレコードが発売され[6]ハイレゾを含む音楽配信が開始された[6]

収録曲

A面
全編曲: 高橋ユキヒロ (Rhythm Arrange), 坂本龍一 (Brass, Strings & Keyboards Arrange)。
# タイトル 作詞 作曲 時間
1. VOLARE (NEL BLU DIPINTO DI BLU)(ボラーレ) D.Modugno, M.Treppiedi, F.Migliacci D.Modugno, M.Treppiedi, F.Migliacci
2. SARAVAH!(サラヴァ!) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
3. C'EST SI BON(セ・シ・ボン) 中原淳一 A.Betti, A.Hornes
4. LA ROSA(ラ・ローザ) 高橋ユキヒロ 加藤和彦
5. MOOD INDIGO(ムード・インディゴ) D.Ellington, A.Bigard, I.Mills D.Ellington, A.Bigard, I.Mills
合計時間:
B面
# タイトル 作詞 作曲 時間
6. ELASTIC DUMMY(エラスティック・ダミー)   坂本龍一
7. SUNSET(サン・セット) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
8. BACK STREET MIDNIGHT QUEEN(ミッドナイト・クィーン) 高橋ユキヒロ、Chris Mosdell 高橋ユキヒロ
9. PRESENT(プレゼント) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
合計時間:
CD[5]
全編曲: 高橋ユキヒロ(Rhythm Arrange), 坂本龍一(Brass, Strings & Keyboards Arrange)。
# タイトル 作詞 作曲 時間
1. VOLARE (NEL BLU DIPINTO DI BLU)(ボラーレ) D.Modugno, M.Treppiedi, F.Migliacci D.Modugno, M.Treppiedi, F.Migliacci
2. SARAVAH!(サラヴァ!) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
3. C'EST SI BON(セ・シ・ボン) 中原淳一 A.Betti, A.Hornes
4. LA ROSA(ラ・ローザ) 高橋ユキヒロ 加藤和彦
5. MOOD INDIGO(ムード・インディゴ) D.Ellington,A.Bigard, I.Mills D.Ellington, A.Bigard, I.Mills
6. ELASTIC DUMMY(エラスティック・ダミー)   坂本龍一
7. SUNSET(サン・セット) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
8. BACK STREET MIDNIGHT QUEEN(ミッドナイト・クィーン) 高橋ユキヒロ,Chris Mosdell 高橋ユキヒロ
9. PRESENT(プレゼント) 高橋ユキヒロ 高橋ユキヒロ
合計時間:

曲解説

A面

  1. VOLARE (NEL BLU DIPINTO DI BLU) / ボラーレ
  2. SARAVAH! / サラヴァ!
  3. C'EST SI BON / セ・シ・ボン
  4. LA ROSA / ラ・ローザ
  5. MOOD INDIGO / ムード・インディゴ

B面

  1. ELASTIC DUMMY / エラスティック・ダミー
  2. SUNSET / サン・セット
  3. BACK STREET MIDNIGHT QUEEN / ミッドナイト・クィーン
  4. PRESENT / プレゼント

演奏

[6]

スタッフ

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f g h i Interview 40年ぶりに蘇る高橋ユキヒロのソロ第1弾 新装盤『Saravah Saravah!』リリース - Stereo Sound ONLINE”. online.stereosound.co.jp. 2023年2月5日閲覧。
  2. ^ a b Saravah Saravah! | ディスコグラフィ | 高橋幸宏(ユキヒロ) | 日本コロムビアオフィシャルサイト”. 日本コロムビア公式サイト. 2023年2月5日閲覧。
  3. ^ 高橋幸宏/サラヴァ!”. tower.jp. 2023年2月5日閲覧。
  4. ^ 高橋幸宏/サラヴァ!<完全生産限定盤>”. tower.jp. 2023年2月5日閲覧。
  5. ^ a b 高橋幸宏/サラヴァ!”. TOWER RECORDS ONLINE. 2023年2月5日閲覧。
  6. ^ a b c admin (2018年12月6日). “デビュー・アルバムの最新リマスタリング 高橋ユキヒロ『サラヴァ!』好評発売中”. stereo BLOG. 2023年2月5日閲覧。

サラヴァ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/04/20 08:04 UTC 版)

サラヴァ・レーベル
設立 1966年
設立者 ピエール・バルー
ジャンル ワールド・ミュージック
フレンチ・ポップス
フランス
公式サイト 公式サイト

サラヴァ・レーベル(Saravah)は、1966年ヨーロッパ最古のインディペンデント・レーベルとしてフランスに設立されたレーベル。

元々は有名なフランス映画「男と女」の資金不足により誕生した、即席の音楽出版社。「男と女」の出演者のピエール・バルーが設立。日本では、キングレコードオーマガトキがサラヴァのアルバムを発売していた時期があったが、2016年時点ではコアポートが日本での発売権利を保有している[1]

サラヴァの誕生

クロード・ルルーシュ監督はもともとニュースのカメラマンで、当時売り出し中だった歌手、ピエール・バルーと自主制作で映画を作っていた。バルーを俳優とした長編作品の3作目が「男と女」であった。バルーの友人関係でジャン=ルイ・トランティニャンアヌーク・エーメという有名俳優の出演を取り付けたものの、資金は底をついてしまった。そこでバルーが知恵を絞り、自分とフランシス・レイの作った楽曲を出版社に売って資金を得ようとしたが、ルルーシュは無名であったため、どこの会社も買おうとしなった。そこで、冗談のように自分で音楽出版社を作ったのがサラヴァ出版である。

ピエール・バルー自身いわく、「男と女の成功でサラヴァの冒険が始まったと考えるのは誤解」だそうで、「音楽出版社による映画の失敗の予測から生まれた」というのが正しいという。

名前のいわれ

映画「男と女」の中で演奏された「サンバ・サラヴァ」は世界中にヒットしたが、この音源は実は、一発録音のしかもスタジオではなく、バーデン・パウエルの自宅のオープン・リールのテープレコーダーに入れられたテープである。ゆえに音のクオリテイは最悪なのに、そこにこめられた感動が、世界の人を打った。という事実にバルー自身が驚き、「感動なき音楽は要らない。逆に言えば、感動があればどんなジャンルでも、どんな人間でもすばらしい作品ができるのだ。」という確信をもとに、その気持ちを忘れないためにレーベル名を「サラヴァ」とした。

レーベルの存続とその哲学

サラヴァレコードの最初のアーチストはブリジット・フォンテーヌとジャック・イジュランであった。

彼らのとらわれない芸術をかねてから買っていたバルーは映画の成功で手にした金で彼らに一枚ずつアルバムを作りたかった。それだけで終わるべきストーリーだったのだが、2枚のアルバムの快挙を知ったアバンギャルドな連中たちがわれもわれもとサラヴァに押し寄せてきた。 その中には後にヒットメーカーになった、ダヴィッド・マクニールや、ピエール・アケンデンゲ、ビリンバウ奏者のナナ・ヴァスコンセロスなど才能にあふれたアーチストたちがいたため、サラヴァレコードは大忙しとなった。 中には衝撃的なアルバム、アート・アンサンブル・オブ・シカゴブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」でヒットもあったが、このころから「サラヴァの夕べ(Soirees Saravah)」という野外コンサートをパリのあちこちで開催、無秩序な運営で経済状況が悪化。 さらに追い打ちをかけるようにサラヴァがレコーディングを開始して10年目の1976年、当時の経理担当が資金を持ち逃げしたことが発覚、サラヴァの経営は大きな危機に陥った。

その結果、サラヴァのレコーディング・スタジオとサラヴァブチックは封鎖されたが、サラヴァの主宰者であるピエール・バルーは「散るならば派手に散ろう」とばかり、サラヴァレコードの所属アーチストすべてを引き連れてフランス一周の無料コンサートツアーに出かけ、そのときのロードムービーが一本の映画となる。 また金銭的困難も省みず「ファミリーアルバム」35m、1時間50分の映画を製作、世界各地のフェスティバルで取り上げられる。 すでに破産を悟っていた彼は過去の栄光を形に残そうと飛び切り贅沢なコンピレーション・アルバム「サラヴァの10年 (10 ans de Saravah)」を製作する(ちなみに彼はこのコンピレーション・アルバムのライナー・ノーツに「人生まだまだ先は長いが、私にとってサラヴァは、これまで生きてきた中で最も美しい冒険だった」と書いている)。

経営難を10年かかって乗り越えたサラヴァはインディーズ・レーベルとして再独立、一切他の資本協力を受けることなく独自の哲学を持って異色の存在感を持つことになる。

印税や版権収入は新しい才能を発掘するためにすべて使われ、優れたアルバムができることにより20年30年間一定の収入を得る、というスロー・ビジネスをいち早く考えたのがサラヴァである。(事実、サラヴァ・レコードのスローガンは「スロー・ビズの王様(Les rois du slow-bizz)」である。)

リリース当時、ブリジット・フォンテーヌやバルーのアルバムは個性が強く、マーケットに一致しないため、大きな数は売れないが、口コミでファンが広がりワールドワイドで絶えず一定数売れている。

その上優れたアルバムや楽曲は文化財としてのちの世代に伝えることによって、会社や個人の富を超えて社会の富となってゆく。

これは文化産業として多くのインディーズ・レーベルのお手本として見られている。

サラヴァのその後

1976年以降は、メジャー・レーベルRCAの社長、フランソワ・ダクラの協力を得て、ライセンス契約のもと、アルバムを出し続ける。

キャロル・ロール、ルイス・フューレイ、モラーヌなど、後にメジャーになった新人を発掘し続ける。

同時にサウンドトラック盤で、ウーザン・トレーシー監督や、トルコの映画作品「壁」「足跡」など、また、作曲家ではガブリエル・ヤレードを中心としてアルバムを世に出した。

RCAの後ではMelodie、Media7などの会社とライセンス契約を結んだ。

80年代には、詩人で俳優のフィリップ・レオタールの初アルバムをプロデュース。モラーヌがブレークするまでの数枚のシングルとアルバムを製作、ユニバーサル・ミュージックとモラーヌが契約にいたるまでの下地を作った。

80年代後半には、経済的危機を抜け出したサラヴァは新たに多くのアルバムをリリースする。バルー自身のアーチスト活動も同時に広がる。バルーはチリ出身の演劇集団テアトルアレフの演出と主演、シナリオと音楽芝居の歌を数多く作った。演目は 「ラストチャンスキャバレー」"La maison accepte l'echeque" "Memoire du vents" その他多数。

90年代にはバルー自身がカメラを持ってドキュメンタリーフィルムを作る(「アコーデオン」)。CD作品では「ノエル」。 プロデュースでは、ダニエル・ミル、フランソワーズ・クシェイダ、ビーア、アラン・ルプレスト、リシャール・ガリアーノ、ピエール・ルッキー、フレッド・プレ、マミチャン、ドラジビュスなど、多くの新人を発掘。 サラヴァの事務所はバスティーユに引越し、一階には「BIMBO Tower」というブチックを構え、息子のバンジャマン・バルーがチームに参加して、「ポポクラシックレーベル」を作る。

1994年には「ラストチャンスキャバレー」(プロデュース:アトリエダンカン、演出:ピエール・バルー)が文化村コクーン劇場を始め、大阪、名古屋、横浜で上演される。バルーは日本語で演じた。

2000年からバルードキュメンタリーフィルム作成に本格的に乗り出す。「アダン」、「サヴァ・サヴィアン・ビス」「時と時刻」(ロベール・ドアノーと俳優緒形拳との出会いの軌跡)「左利きマラソン」など。また文学作品の執筆に没頭する。

2007年には久々のバルーのアルバム『ダルトニアン』をリリース。

2011年、「サラヴァの日本における拠点[2]」としてサラヴァ東京がオープン。

録音を残した主なアーティスト

  • アレスキ
  • ジャック・イジュラン
  • チック・ストリートマン
  • トリオ・カマラ
  • バルネ・ウイラン
  • ブリジット・フォンテーヌ
  • ピエール・アケンダンケ
  • モラーヌ
  • スチーブ・レーシー
  • ナナ・バスコンセロス
  • アフィレッタ
  • ビーア
  • フランソワーズ・クシェイダ

参考文献

  • 「サラヴァの10年」(CD版)ブックレット
  • 「サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ」ブックレット
  • 「サラヴァ・フォー・カフェ・アプレミディ2」ブックレット
  • 「男と女 オリジナル・サウンド・トラック」(CD版)ブックレット
  • 「サ・ヴァ、サ・ヴィアン―目をあけて夢みる者たち…」求龍堂

脚注





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