サラン=レ=バンの大製塩所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/08/11 18:54 UTC 版)
|
|||
---|---|---|---|
![]() サラン=レ=バンの大製塩所外観
|
|||
英名 | From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the production of open-pan salt | ||
仏名 | De la grande saline de Salins-les-Bains à la saline royale d'Arc-et-Senans, la production du sel ignigène | ||
面積 | 10.4800 ha(緩衝地域 584.9400 ha) | ||
登録区分 | 文化遺産 | ||
登録基準 | (1),(2),(4) | ||
登録年 | 1982年 | ||
拡張年 | 2009年 | ||
公式サイト | ユネスコ本部(英語) | ||
使用方法・表示 |
サラン=レ=バンの大製塩所は、フランスのジュラ県に残る産業遺産のひとつである。2002年にユネスコの世界遺産の暫定リストに掲載され、2009年に「アル=ケ=スナンの王立製塩所」を拡大登録する形で正式に世界遺産リストに登録された。
サラン=レ=バンの大製塩所は1966年以降市有財産となり、1978年からはフランシュ=コンテ技術・文化博物館群 (Musées des techniques et cultures comtoises) の一部をなしている。
歴史
サラン=レ=バンでは新石器時代から塩の採掘が行われており、市内には中世初期から製塩所が存在していた。中世には、「白い黄金」とされた塩を生み出す製塩所は、城壁に囲まれた市内の小都市というべきものを形成していた。
製塩所では今でも塩水が汲まれているが、これは地下で 1 L 当たり 330 g の塩を含むものであり、大西洋の海水の塩分濃度が 1 L あたり 80 g であることを考えると濃いといえる。
塩水はフュリウーズ川 (la rivière la Furieuse) に設置された水車を動力とするポンプで引かれ、貯水庫に蓄えられた後、かつては加熱が行われていた鍋に送られていた。そこで水分が蒸発させられ、塩が手に入ったのである。大きな熊手のような採集用具を使って鍋で行う採塩作業は、鍋周辺がかなりの暑さになることから、非常に過酷な作業だった。
サランの製塩所群の地下で汲み出された塩水は、昔はアル=ケ=スナンの王立製塩所にも送られていた。アル=ケ=スナンには自前の塩水脈がなかったためで、21 km にわたる塩水用暗渠が設置されていた。
製塩所群はほとんど絶え間なく活動を続けていたが、1962年に閉鎖され、4年後に市有財産となった。
今日では、地上も地下も巨大な展示場となっており、蒸留鍋の部屋や塩の貯蔵室、かつて使われていた大井戸の残る建物などがある。塩水を火で蒸留するための作業所の遺構は、知られている中で特に古い部類に属しており、塩水を引くことから始まる製塩技術の7000年にも及ぶ歴史を示すものである。
今日の製塩所は、製塩に適した塩水の採取から製塩作業に至る過程を知る上での優れた題材であり、年間50000人近くの観光客を受け入れている。
製塩所には地下にも記念碑的な道が残っており、積み重ねられてきた歴史がどれほどの規模であるかを伝えている。これらの地下道には、今も機能している塩水の汲み上げ機構が存在する。汲み出された塩水は、製塩作業を停止してからは、鉱泉施設で使われたり、冬場に道路の除雪作業で使われている。
世界遺産
2009年に「アル=ケ=スナンの王立製塩所」を拡大する形で、「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の一部として登録された。これらはともに煎熬(せんごう。釜で塩水を煮詰めて塩を得ること)による製塩施設である。
登録対象となった建造物は以下の3つである。
- アモンの井戸施設 (bâtiment du puits d'Amont)
- 塩の倉庫 (magasins à sel)
- 旧住居 (un ancien logement)
登録基準
この世界遺産は世界遺産登録基準における以下の基準を満たしたと見なされ、登録がなされた(以下の基準は世界遺産センター[1]からの翻訳、引用である)。
- (1) 人類の創造的才能を表現する傑作。
- (2) ある期間を通じてまたはある文化圏において建築、技術、記念碑的芸術、都市計画、景観デザインの発展に関し、人類の価値の重要な交流を示すもの。
- (4) 人類の歴史上重要な時代を例証する建築様式、建築物群、技術の集積または景観の優れた例。
ただし、基準 (1), (2) はアル=ケ=スナンの王立製塩所の建築学的・都市計画的側面が評価されたもので、サラン=レ=バンの大製塩所は専ら (4) に該当するものとして拡大登録された。
登録名
世界遺産としての正式名は From the Great Saltworks of Salins-les-Bains to the Royal Saltworks of Arc-et-Senans, the production of open-pan salt(英語)、De la grande saline de Salins-les-Bains à la saline royale d'Arc-et-Senans, la production du sel ignigène(フランス語)である。
その日本語訳は、文献によって以下のような違いがある。
- 天日製塩施設、サラン-レ-バン大製塩所からアルケ-スナン王立製塩所まで(日本ユネスコ協会連盟)[1]
- サラン・レ・バン大製塩所からアルケ・スナン王立製塩所までの天日塩生産所(世界遺産アカデミー)[2]
- サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所までの開放式平釜製塩(古田陽久)[3]
- サラン・レ・バンの大製塩所からアルケスナンの王立製塩所(なるほど知図帳)[4]
英語名に使われているopen-pan saltとは、天日塩とは異なり、塩水を満たした大きな平釜を火で煮詰めることによって得る塩である[5]。フランス語名に使われている ignigène は仏和辞典などではまれにしか載っていない単語だが、『ロベール仏和大辞典』(小学館、1988年)には形容詞で「煎熬した」という語義と、sel ignigène で「煎熬塩」という熟語が掲載されている。
煎熬塩の生産施設を天日塩の施設として訳している世界遺産アカデミーや日本ユネスコ協会連盟は、この拡大登録に関する解説の中で、どのようなプロセスで製塩が行われたのかについて触れていない[1][2]。
ギャラリー
脚注
外部リンク
- Musées des techniques et cultures comtoises
- Les anciennes salines de Salins-les-Bains
- site personnel
文化遺産 | |
---|---|
モン=サン=ミシェルとその湾 | シャルトル大聖堂 | ヴェルサイユの宮殿と庭園 | ヴェズレーの教会と丘 | ヴェゼール渓谷の先史的景観と装飾洞窟群 | フォンテーヌブローの宮殿と庭園 | アミアン大聖堂 | オランジュのローマ劇場とその周辺及び「凱旋門」 | アルルのローマ遺跡とロマネスク様式建造物群 | フォントネーのシトー会修道院 | サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所へ | ナンシーのスタニスラス広場、カリエール広場、アリアンス広場 | サン=サヴァン・シュル・ガルタンプ修道院付属教会 | ポン・デュ・ガール(ローマの水道橋) | ストラスブールのグラン・ディル | パリのセーヌ河岸 | ランスのノートルダム大聖堂、サン=レミ旧大修道院、トー宮殿 | ブールジュ大聖堂 | アヴィニョン歴史地区:教皇宮殿、大司教座の建造物群およびアヴィニョン橋 | ミディ運河 | 歴史的城塞都市カルカソンヌ | フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路 | ベルギーとフランスの鐘楼群(ベルギーにまたがる) | リヨン歴史地区 | サン=テミリオン地域 | シュリー=シュル=ロワールとシャロンヌ間のロワール渓谷 | 中世市場都市プロヴァン | オーギュスト・ペレによって再建された都市ル・アーヴル | 月の港ボルドー | ヴォーバンの防衛施設群 | アルビの司教都市 | コースとセヴェンヌ、地中海の農耕・牧畜の文化的景観 | アルプス山脈周辺の先史時代の杭上住居群(ほか5か国と共有) | ノール=パ・ド・カレーの鉱業盆地 | |
自然遺産 | |
ピアナのカランケ、ジロラータ湾、スカンドーラ自然保護区を含むポルト湾 | ニューカレドニアのラグーン:サンゴ礁の多様性と関連する生態系 | レユニオン島の尖峰群、圏谷群および絶壁群 | |
複合遺産 | |
ピレネー山脈のモン・ペルデュ(スペインにまたがる) | |
世界遺産 | ヨーロッパの世界遺産 | フランスの世界遺産 | 五十音順 | |
サラン=レ=バンの大製塩所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/04/01 13:44 UTC 版)
「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の記事における「サラン=レ=バンの大製塩所」の解説
詳細は「サラン=レ=バンの大製塩所」を参照 サラン=レ=バンの大製塩所はジュラ県サラン=レ=バン(フランス語版)に残る製塩施設である。サラン=レ=バンは中世以降、製塩業によって繁栄した都市であり、12世紀にさかのぼる2つの製塩所を擁していた。大製塩所はそのうちアモンの井戸と呼ばれる塩井に建設された製塩施設である。製塩所には、地下から汲み出した塩水を金属製の釜で煮詰めた設備などが残る。 サラン=レ=バンの製塩業は、この町をブザンソンに次ぐフランシュ=コンテ第二の都市に成長させる原動力になったが、18世紀になると問題に直面した。煎熬には大量の薪が必要になるため、塩の需要の増大に伴い、周辺での薪の調達が困難になったのである。アル=ケ=スナンの製塩所建設は、そうした流れの中で現れたものである。 アル=ケ=スナンの王立製塩所の建設は、サラン=レ=バンの生産量の縮小につながった。サラン=レ=バンでは小製塩所の跡地に温泉施設が建設され、むしろ19世紀後半には温泉町として知られることになるが、大製塩所の操業停止には至らなかった。大製塩所はアル=ケ=スナンの製塩所が操業停止した後も、より安価な海水から得る食塩との競争や、第二次世界大戦での被害にさらされつつも操業を続けていたが、1962年に操業を停止した。
※この「サラン=レ=バンの大製塩所」の解説は、「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の解説の一部です。
「サラン=レ=バンの大製塩所」を含む「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の記事については、「サラン=レ=バンの大製塩所からアル=ケ=スナンの王立製塩所までの煎熬塩の生産」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- サラン=レ=バンの大製塩所のページへのリンク