土佐丸
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土佐丸(とさまる)は、日本国有鉄道四国総局宇高船舶管理部(宇高航路)に在籍した客載車両渡船。船名符字JQDH。
- ^ a b c 「JR年表」『JR気動車客車編成表 90年版』ジェー・アール・アール、1990年8月1日、175頁。ISBN 4-88283-111-2。
- ^ 『鉄道連絡船100年の航跡』202頁。
- ^ 『宇高連絡船78年の歩み』121、338頁。
- ^ 日本客船のデッキプラン サウンズ・オブ・セト - クルーズ&フェリー学会
サウンズ・オブ・セト
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「マリンパーク境ガ浜」の記事における「サウンズ・オブ・セト」の解説
当時国内最大規模(5,167t) のレストランクルーズ船。元々この船は国鉄の宇高連絡船「土佐丸」(1966年建造)で、1988年、航路廃止に伴い常石造船が買い取り、クルーズ船に大改造された。「しまなみロマンチッククルージング」として、当初は境ガ浜から瀬戸内海の島々を巡り塩飽諸島の与島を結ぶ航路だったが、前述の理由によりここでは客が少なかったため、尾道西御所岸壁を出港し境ガ浜を経由、多々羅大橋の下をくぐりしまなみ海道をめぐり尾道へと帰港する航路となった。船上映画館にて尾道を舞台とした映画「あの、夏の日」を先行公開(1999年5月2日)したりもしている。その後尾道からの航路も客足が伸びず、チャータークルーズとして全国にかり出されるようになる。1999年10月に営業停止。その後はインドネシアの船会社に売却されMABUHAY NUSANTARAという名称となった。ちなみに1995年阪神・淡路大震災のとき、常石造船の子会社・甲子園高速フェリーとの関係から救済に向かうこととなり、津名港(淡路島)に停泊し避難宿泊施設として使用(宿泊者延べ500人、風呂利用者5,000人)された。
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