サイマティクスへの関り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/26 09:01 UTC 版)
「ピーター・ガイ・マナーズ」の記事における「サイマティクスへの関り」の解説
マナーズはオックスフォード大学に在学中に医学部の学位をわずか3年で取得し、その成績を評価されパリのソルボンヌ大学へと留学をした。その後、オックスフォード大学で整骨学と電磁医療で博士の学位を取得し、卒業後は大学付属の病院へ勤めるが、病院側と彼の「薬を使う治療法や外科的手術による治療法は病気を直したことにならず、音や光を使って健康にできる方法を研究したい」、という意見との確執により病院を去ることとなる。またハイデルベルク大学へ移りサイマティクスを用いた医療を研究、多くの論文を執筆し博士の学位を取得。さらに、世界で初めて未熟児の黄疸治療に青色光線を用いた。 新しい治療方法を見つける目的で世界中を旅する中で、さまざまな代替医療を知ることとなり、それらに刺激を受けて自然医学と磁気療法を専門にするようになった。この時に、彼はサイマティクスを創始したハンス・ジェニーや生体電気工学の研究者であったハロルド・バーの研究に出会い、サイマティクスを用いた「音の治療的応用」の研究をし始めたそしてこれまでの研究結果を、音響振動療法(サイマセラピー、サイマティックセラピー)として名づけ形式化した。 1960年代、音響振動療法を用いた治療を実現するため、イギリスのウスターシャー州のブレットフォートンのブレットフォートンホールに、アカデミー兼クリニックとしてブレットフォートンホールクリニック(メディカルアカデミー)を設立し、ここで最初の音による治療装置を開発し、音響振動療法による臨床と研究を繰り返し、その治療法の普及に努めた。 1990年、マナーズは彼の著作の一つである、全13巻からなる『Cymatic and Bioenergetic Medicin』を刊行した。 2005年、マナーズはクリニックを閉業した。晩年は妻のドリーン(Doreen Manners)と共にコッツウォルズで暮らしていた。クリニックのあった建物はイギリス指定建造物のGrade IIに指定されている。また、日本のマナーズインターナショナル株式会社が設立したマナーズユニバーサルアカデミーがマナーズ博士が認定した世界で唯一の勉強の場所として運営されている。
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