サイファーパンクメーリングリスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:46 UTC 版)
「サイファーパンク」の記事における「サイファーパンクメーリングリスト」の解説
1992年末、エリック・ヒューズ、ティモシー・C・メイ、およびジョン・ギルモアは、ギルモアの会社でありサンフランシスコ・ベイエリアにあるシグナスソリューションズに月例で集まる小さな集団を設立した。その集団は初期の会合においてジュード・ミルホンによりユーモアを込めて「サイファーパンク」と称された。その名は「サイファー(暗号)」と「サイバーパンク」に由来する。2006年11月、この単語はオックスフォード英語辞典に追加された。 メーリングリストは1992年に初まり、1994年までに700人が購読していた。全盛期には「サイファーパンク」は数学・暗号学・計算機科学に渡る技術的な議論、政治および哲学的議論、個人論争および攻撃など、そして多少のスパムによって非常に活発なメーリングリストとなった。ジョン・ギルモアは1996年12月1日から1999年3月1日までに1日あたり平均30通のメールがあり、それ以前はもっと多かったとメールにおいて報告している。1997年には購読者数は2000人に達したと推定された。 1997年初頭にジム・チョートとイゴル・チュードフは、中央集権化されたメーリングリストの構造では避けられない単一障害点を無くすために、ネットワーク非依存のメーリングリストノード群であるサイファーパンク分散リメーラーを配備した。全盛期にはサイファーパンク分散リメーラーは7つのノードを備えていた。2005年中頃にはal-qaeda.netが唯一残されたノードを運営していた。2013年中頃には短い中断の後、al-qaeda.netのメーリングリストソフトウェアはMajordomoからGNU Mailmanに変更され、その後ノードはcpunks.orgと改名された。サイファーパンク分散リメーラーの構造は今や失なわれたが、メーリングリストの管理者はこの機能を新しいメーリングリストソフトウェアに組み込む方法を探っていると2013年に表明している。 長い間サイファーパンクメーリングリストはメールボム送信者にとってポピュラーなツールであった。メールボム送信者は被害者にメーリングリストを購読させ被害者にメッセージの洪水が届くようにした(これはメールボム送信と呼ばれるようなテロリズムではなく普通はいたずらとして実施された)。この現象は購読に返信を必要とするシステムの採用をメーリングリスト管理者に促した。メーリングリストでは典型的には1日約200通のメッセージがあった。 ガープス・サイバーパンク強制捜査といった事件は非公式な個人でもプライバシーの保護を進める必要があるという考えに重要性を持たせた。メーリングリストには幅広い論点があり、意義無く完全に合意されていた物は1つとしてなかっただろう。しかし基本な姿勢としては明らかに個人のプライバシーや個人の自由を他より優先していた。
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