コオプテーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 05:41 UTC 版)
「アリー・アブドゥッラー・サーレハの政策」の記事における「コオプテーション」の解説
サーレハ大統領のコオプテーション政策(潜在的な対抗勢力を体制内に取り込むこと)は主に二つの社会階層・勢力を対象に行われた。第一の対象は部族勢力であり、その始まりは旧北イエメン時代にさかのぼる。1987年から石油の輸出を開始し国家収入が急増したことを背景に、サーレハ大統領は各地域で政治的な影響力を持つ部族勢力をはじめとする様々な社会集団を優遇することで、彼らの支持を集めるようになった。サーレハ大統領が各地方を訪問する際や、地域コミュニティのリーダーがサナアの大統領府に赴いた際には、現金が手渡されていたと言われている。また、現金の受け渡しは地方自治省の部族事務局を通して行われることもあったようだ。 国外からの支援による開発プロジェクトもまた、サーレハ大統領が地方の有力者を優遇し、支持を得るための道具として使われていた。特にハーシド・バキール両部族連合の居住地であるイエメン北部にお府の開発・福祉政策や海外からの援助が優先的に行われた。 第二の対象は軍である。サーレハ大統領は軍や治安部隊のトップに自身と近い関係の人物を任命し、個人的なつながりを強化した。異母弟で第一機甲師団司令官のアリー・ムフシン・アル=アフマル(英語版)や、政権の中枢精鋭部隊である共和国警備隊と中央治安部隊のトップを務めるアフメド・アリ・アブドゥッラー・サーレフ・アル=アフマール(英語版)(サーレハ大統領の息子)やヤヒヤー(サーレハ大統領の甥)はその一例である。 南北イエメンの統一後、サーレハ大統領は石油産業から得られる収入のみならず、貿易・工業・サービス業など、幅広い分野における利権を上級の軍人に分配し始めた。それにより、彼らを参加させて利益の一部を与えない限りイエメンでのビジネスは絶対に成功しないという状況を作り上げた。 前者の部族に対する優遇は、1995年から国際通貨基金(IMF)・世界銀行(以下世銀)の支援を受けた構造調整プログラムがスタートすると同時に減少していったものの、後者の軍部への利権の分配は衰えを見せず、むしろ海外から流入する経済援助の額が増加することによって一層拡大した。 このように、サーレハ大統領は開発プロジェクトや新規ビジネスなどの様々な利権を利用して、潜在的な対抗勢力となりうる部族勢力や軍部を巧みに懐柔し、サーレハ大統領個人に対する忠誠心を育てていた。
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