ゲットーの行政機構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 06:54 UTC 版)
「ワルシャワ・ゲットー」の記事における「ゲットーの行政機構」の解説
他のナチスのゲットーと同様にワルシャワ・ゲットーは直接的にはユダヤ人の「自治組織」であるユダヤ人評議会を頂点としたユダヤ人官僚機構によって管理されていた。しかし「自治組織」とはいってもユダヤ人評議会はゲットー外のドイツ当局の指示に逆らうことは一切許されなかった。ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人評議会の議長はアダム・チェルニアコフが務めた(チェルニアコフ自殺後にはマレク・リヒテンバウム)。 ワルシャワ・ゲットーのユダヤ人評議会ははじめアインザッツグルッペンVIに対して責任を負い、その後は市管区長から指示を受けた。1941年5月1日にワルシャワ知事ルートヴィヒ・フィッシャーは、ユダヤ人居住区域担当委員(Kommissar für den jüdischen Wohnbezirk)として若いドイツ人弁護士ハインツ・アウアースヴァルト(de:Heinz Auerswald)を任じた。以降は彼がワルシャワ・ゲットーの監督に大きな権限を持った。 評議会議長チェルニアコフは、ゲットーにおける市長の肩書きを持っていた。ユダヤ人評議会はそのメンバーと外部からの専門家を含む委員会が、審議の内容を準備し、ゲットー行政機関を運営していた。ゲットー行政機関が扱う仕事は、治安・保健・住宅・労働・経済・金融などと多岐にわたり、記録保管さえ含んでいた。食糧・石炭を分配する部局は臨時事業機関となり、製造部門はユダヤ人製造有限会社として合体された。商業部はゲットー外への配達のための販売会社となり、銀行部は「ユダヤ人居住地区のための協同組合銀行」へと名称変更された。 5,000人のゲットー住民がユダヤ人評議会を頂点とするこのゲットー官僚機構のメンバーであった。このうちゲットー内の治安を司るユダヤ人ゲットー警察の警官は2,000人を占めていた。 これとは別にゲットー内には密輸対策を専門とするユダヤ人警察組織があった。この組織の正式名称は「ユダヤ人居住区における闇取引と価格つり上げとたたかう監視センター」といい、本部がゲットー内のレシュノ通り13番地にあったことから「13」(en:Group 13)と俗称されていた。アブラハム・ガンツヴァイヒ(pl:Abraham Gancwajch)を長として約500名の人員を抱えていた。「13」はゲットー住民によるゲットー外からの食糧の密輸が横行していたため、ゲットー外のドイツ保安警察のゲシュタポの命令で創設された警察組織であった。彼らはゲシュタポに直属していたため、その権限は強大であり、不正が多かった。ユダヤ人評議会と重要な権限をめぐって争う事も多かったため、ユダヤ人評議会議長チェルニアコフはアウアーヴァルトの協力を得て、「13」を解散させるための画策を行った。結果、ゲシュタポの命令によって1942年5月をもって「13」は解散させられている。
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