ゲットーの法制化と拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/09 07:49 UTC 版)
はじめてゲットーと呼ばれるようになったユダヤ人隔離居住区はヴェネツィア共和国のヴェネツィア・ゲットーである。1555年には反ユダヤ主義者のローマ教皇パウルス4世がヴェネツィアのゲットーを真似てローマ・ゲットーを創設した。これを機に教皇領中にゲットーが創設されるようになり、1562年には「ゲットー」の名称が公式に法文化された。 その後、ヨーロッパでは、数世紀にわたって、大半の国々で同様のゲットーが築かれることになった。 この頃のゲットーは、ほとんどが石壁に囲まれ、夜になると外部との門が閉じられ、昼でもユダヤ人がゲットーの外に出る際にはユダヤ人であることを示す印を身につけることが強制された。また、ゲットーの内部では、ユダヤ人はある程度の自治権を得ていたものの、人口の増加に伴う居住地の立体化、高密度化により衛生状態が次第に悪化し、スラム化する地域も数多く現れた。
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