ゲットーの文化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/05 06:54 UTC 版)
「ワルシャワ・ゲットー」の記事における「ゲットーの文化」の解説
「上流階級」のユダヤ人を顧客としてゲットー内では演劇やコンサートなども行われていた。戦前からワルシャワはポーランド・ユダヤ人の演劇の中心地だった。ゲットー内に5つのプロ演劇一座があった。公演される物はコメディーのミュージカルが多かったが、ゲットーの置かれている状況が状況だけにコメディーであっても皮相な物になりがちであったという。ユダヤ人評議会を批判するかのような描写を入れた演劇も存在した。はじめは「アーリア人の」作品の上演も許されていたが、これは1942年4月に禁止された。 コンサートも公演されていた。シンフォニー・オーケストラ、弦楽四重奏団、フォークソングやポピュラーソングの合唱団、少年・少女の合唱団、ヘブライ語シル合唱団、大シナゴーグ合唱団などの公演が行われていた。 ワルシャワ・ゲットーの演劇や音楽活動の統制権はユダヤ人相互援助協会(ZTOS)が握っていた。相互援助協会とタイアップする中央プログラム委員会には267人の舞台俳優、150人の音楽家が登録され、1941年10月までに委員会は1814回もの上演を行っている。ユダヤ人評議会議長チェルニアコフは相互援助協会から文化活動の統制権を奪い取りたがっていたが、失敗している。
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